【BUBKA12月号】吉田豪インタビュー 証言モーヲタ ~彼らが熱く狂っていた時代~ vol.06 小板橋英一

プロインタビュアー吉田豪が、モーヲタたちが熱く狂っていた時代について、モーヲタ自身に直撃する濃厚インタビュー連載。今回のゲストは小板橋英一氏。モーヲタ出身のライターであり、『BUBKA』でもたくさんの原稿を執筆していた小板橋氏。後にwebサービスの「pixiv」で代表取締役を務めるなど、ビジネスで成功したが、その背景にはモーヲタとしての経験があった!? 「人生で一番楽しかったのは間違いない」という、あの頃のことをじっくりと振り返っていただいた!

ヲタのコミュニティに感動

――この連載は読んでくれてるんですよね。

小板橋 はい、基本的には全部読んでます。

――毎回、自分の話が出てくるから(笑)。

小板橋 そうそうそう(笑)。この連載が始まったときから、サミュL編集長に「いつかお願い」って言われてたんで。

――ついに登場したわけですが、これは騒動以降、初のメディア出演ということですか?

小板橋 そういうことになりますね。

――正面からの撮影はNGなんですよね。

小板橋 そうです。まあ、こんなことしなくてもバレバレなんですけど、一応(笑)。

――了解です! まず、モーヲタ的な文化と接点ができたのはどの時期だったんですか?

小板橋 僕自身がモーニングにハマッたのが『LOVEマシーン』なんですよ。もともと『ASAYAN』はずっと観てたんですけど。

――当時はただの歯科大学の学生で。

小板橋 そうです、ただの大学生で、CDを買ったり動画を観たりぐらいはするけどコンサート会場に行くまではなくて。それが後藤真希の加入と『LOVEマシーン』のPVを観て、突き動かされるものがあって。タイミング的に、ふつうの大学生でもある程度インターネットにアクセスできるようになった時代で、かつ2ちゃんとかも流行り始めだったんで、自然な流れで個人ホームページを立ち上げて、好きな人と交流したいみたいな情熱で始まった感じで、99年の9月ぐらいから。

――それでヲタ同士のつながりもできて。

小板橋 ホントにきわめて個人的な話になっちゃうんですけど、まず最初にモーヲタ文化に対する居心地のよさというか素晴らしさを感じたのが、初めてコンサートを観た00年の中野サンプラザの正月ハロコンだったんですよ。そのときに曲を聴いたりPVを観たりしたときの10倍100倍の衝撃を受けて、すぐ次も行きたい、可能なかぎり早いタイミングで観たいと思ったら、1週間後に名古屋でコンサートがあって。チケットは当然売り切れてて、当時まだヤフオクもそこまでって感じだったんで、当時のファンサイトの交換掲示板みたいなところで、「ものすごい感動したんでもう一回観たくて名古屋に行きたいです」みたいな書き込みをしたら譲ってくれる方がいて。しかも相当いい席だったんですよ、3列目ぐらいで。そんな席をネット上で見かけた知らないヤツに定価で譲ってくれてすごい感謝したら、「そういう人にこそ観てほしかったんだ」って言われて。しかも当時、矢も楯もたまらず行ったんでお金もなかったから、泊まる先も特に決めてなくて。


――インタビューの続きは絶賛発売中のBUBKA12月号にて!


小板橋英一
モーヲタ活動を経て編集者、ライターになり、『BUBKA』をはじめとした多数の媒体で執筆活動を行なう。2007年にはピクシブ株式会社の取締役副社長に就任。2014年からは「虹のコンキスタドール」の総合プロデューサーも務めた。