【BUBKA7月号】話題の著者に直撃取材!第31回 野田クリスタル(マヂカルラブリー)『野田の日記 』
ブブカがゲキ推しする“読んでほしい本”、その著者にインタビューする当企画。第31回は、『野田の日記 』の著者であるお笑いコンビ・マヂカルラブリー、野田クリスタルさんが登場。2020年の『M-1グランプリ』&『R-1ぐらんぷり』を制覇したマヂカルラブリー・野田クリスタルの“夜明け前”は、どんな感情が渦巻いていたのか? 同世代への戸惑い、M-1を勝つために――。「殺し合いの螺旋から降りたい」と語る野田クリスタルは、この先どこに向かうのか?
写真=©Yoshimoto Kogyo Co., Ltd.
日記に打ち込んだ日々
――20時半からインタビュー開始というスケジュールが物語っているように、多忙を極めているだろう中での取材、ありがとうございます。
野田 いやいや、とんでもないです。でも、チャンピオンっぽくはさせてもらってます(笑)。来る者は拒まずと言うか、スケジュール的にできるのであれば受けたいので。
――ありがとうございます。『野田の日記』には、野田さんの若手時代の悲喜こもごもが綴られています。日記を書こうと思ったきっかけは、ピースの又吉(直樹)さんに影響を受けたと明かしています。
野田 又吉さんがきっかけになったことは間違いないんですけど、当時って芸人が「魔法のiらんど」で日記を書くことがブームみたいになっていたんですよ。むしろ俺は、乗り遅れたくらいで、「今更、日記?」くらいの感覚だったと思います。
――他にはどんな方が書かれていたんですか?
野田 ほとんどの芸人が書いてましたね。といっても、吉本は自社にブログ媒体があったので、非吉本の芸人が中心になって「魔法のiらんど」を活用していた感じです。そういうことを含めて手広くやろうみたいな雰囲気があった気がしますね。
――野田さんは03年から吉本に所属します。そして、この日記は06年から始まっている。ということは、吉本ではレアなケースだったんですか?
野田 かもしれないですね。当時は吉本所属ではあったけど、どちらかというと吉本じゃない芸人たちとよく関わっていました。03年にオーディションを勝ち抜いて吉本所属になったことでシアターDやルミネ(theよしもと)に出てはいたものの、役満(マヂカルラブリー結成以前のコンビ/03〜05年活動)を解散して、ピンになってからは吉本のライブには出ていない。07年にマヂカルラブリーを結成してから吉本のライブに出るようになりましたけど、それまではずっと中野の地下劇場やモダンタイムスのライブに出ていました。
――そういう時代に書いていた日記を、改めて自分で読み直すと、どんな印象を持ちますか?
野田 う〜ん、やっぱり時間がかかっているというか。やることなかったんだなって思いますよね。あと、よくこんなに書いていたなと思います。俺、エライなって。というのも、当時はガラケーで日記を打ち込んでいたんで、めっちゃ書きづらいんですよ。それが、むちゃくちゃ嫌でしたね(笑)。
――インタビューの続きは絶賛発売中のBUBKA7月号にて!
のだ・くりすたる
1986年生まれ、神奈川県生まれ。本名は野田光。村上とともに、2007年「マヂカルラブリー」を結成。2020年にR-1ぐらんぷり、M-1グランプリ優勝。独学でプログラミングを学び、「野田ゲー」と呼ばれるオリジナルゲームも開発。クラウドファンディングで資金を調達し、Nintendo Switch向けゲーム「スーパー野田ゲーPARTY」を4月29日に発売。発売からわずか1週間で販売本数5万本を突破するなど話題沸騰中。
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