【BUBKA7月号】アイドルクリエイターズ・ファイル #7 松尾宗能

楽曲派という言葉が死語になる前に伝えることがある!ということで始まった当連載。今回は、福岡県を中心にアイドルポップス界隈を盛り上げ、数々のアーティストへの楽曲提供も行っている松尾宗能が登場。彼なりのポップスへの取り組みを伺うとともに、あまり明かされることのない福岡のシーンについて訊いた。

レコード店からラジオ番組

――今回は松尾さんの仕事を振り返りつつ、福岡のシーンについてもうかがえるといいなと思っています。まず、松尾さんがインスタントシトロンを離れて以降はどんな活動をされてきたのでしょうか。

松尾宗能(以下、松尾)  シトロンを辞めたのは方向性的なもので、(長瀬)五郎と知ちゃん(片岡知子)はモンド方向に舵を切るんですけど、僕はシュガーベイブみたいなことをやりたかったんです。その後、INO hidefumiくんのやっていたバンドにベースの空きが出たので、入れてもらってしばらくやってたんですけど、INOくんが上京することになり、そのバンドも有耶無耶になって。僕はレコード屋さんで働き始めて、そっち方面に進むことになりました。2006年からPARKSというお店を始めました。

――音楽制作からは離れていたんですね。

松尾 ちょっと宅録するくらいでした。で、2012年とか13年くらいに、自分のお店に来てた知り合いが地元の制作会社で働いていて、それがキャンペーンガールみたいなことをやると言うので……。

―― それが福岡県世界遺産登録推進レディ・MI6ですか?

松尾 そうです。その人はLinQのファンだったので、アイドルっぽくやりたいと。松尾さん曲書けるでしょってことで、じゃあやりましょうか、となったのが今に至るスタート地点です。

――インスタントシトロンの長瀬さんとも再び音楽をやることになり。

松尾 MI6で久しぶりにちゃんとした音楽を作ってみたら、ある程度できたんだけど、今ひとつピリッとしないなと思って五郎に投げたんです。五郎ももう音楽はしないと言ってたんですけど、「いやいやいや。これの続きでいいから」みたいな感じで説得して作ってもらって。そこから五郎も戻り始めました。本人も最初のうちは乗り気じゃなかったみたいですね。最近はカノサレのえりんこ(えり)がギターにハマりだしたので、五郎もガッツリ喜んでやってますね。

――ラジオ番組『ドリンクバー凡人会議』は2012年にスタートですよね。

松尾 そうでしたね。2010年くらいにカンバスというバンドがうちのお客さんとして来ていて。当時はシティポップのブームもなくて、そういうバンドって流線形のほかにいないのかなと思っていたときに出会ったのがカンバスで、彼らをバックアップしようと思って制作会社とかテレビ局とかに送ってあげたりしてました。でも、誰も相手してくれなかったから、自分でラジオ番組をやれないかなと思って、知り合いのラジオ局のプロデューサーに連絡したら、なぜか番組をくれたんです(笑)。


――インタビューの続きは絶賛発売中のBUBKA7月号にて!


松尾宗能(まつお・むねよし)
福岡を拠点に活動する作曲家、音楽プロデューサー。バンド・インスタントシトロンの元メンバーでもある。彼女のサーブ&レシーブ(現カノサレ)や、天野なつのプロデュースを担当、アイドルへの楽曲提供を行う傍ら、六本松蔦屋書店で音楽コンシェルジュ としても働く。