【BUBKA8月号】村上和成 インタビュー 「平成のテロリストが語る、波乱万丈なプロレス人生」

99年1・4東京ドームをきっかけに村上のプロレス人生の歯車は急速に動き出した。UFO、魔界倶楽部、ビッグマウスなどの団体を転々とし、多額の借金も背負った。そんな経験をしつつも「生きているうちが花」と語る彼に、その波乱万丈な人生を振り返ってもらった。

写真提供=平工幸雄


人数集めで呼ばれた1・4

――村上さんと言えば、小川直也さんと一緒に新日本プロレスへ殴り込んだ時代の印象が強烈に残っていますけど。じつはあの頃、プロレスを始めてから1年経ってなかったりするんですよね?

村上 ホント、そのくらいですよ。UFO(アントニオ猪木が率いていた団体)に入ってすぐですから。UFOに入ったのも、佐山(サトル)さんに電話で呼び出されて、行ってみたら猪木会長がいらして、なぜかもう僕が入る話になっていたという(笑)。

――ちょっと前まで和術慧舟會所属の柔道出身の総合格闘家だったのが、あれよあれよという間にプロレスラーになっていて(笑)。

村上 いきなり小川さんと一緒にロスに行けることになって、僕としてはあの小川直也とマンツーマンで練習できる機会なんて滅多にないことだと思って行っただけなんですけど。ロスの最終日に猪木会長と食事をさせていただく機会があって、そこで会長の話を聞いて「プロレスってすげえな」と思ったのが、入ったきっかけですからね。それまでは、自分がプロレスラーになるなんて考えてもいなかったし。UFOに入ってからも半信半疑でしたよ。

――だから有名な、新日本プロレスの99年1・4東京ドームでの小川直也vs橋本真也戦の不穏試合も、あんなふうになるなんて思ってもいなかったわけですよね?

村上 何も聞かされてないし、予感も何もなかった。ただ、「新日本に乗り込むのに、こっちは人が少ないから人集めてくれ」みたいなことを言われたんで、柔道と総合の後輩を集めたんです。

――「人数集めろ」って、昔の不良の学校同士のケンカみたいですね(笑)。

村上 本当に、そんな感じですよ。実際、試合後にリング上でケンカになったし(笑)。

――小川vs橋本戦は、観ていて途中で「あれ、おかしいぞ?」って感じだったんですか?

村上 そんなふうにも思わなかったんです。猪木会長からは「プロレスはケンカだ」「本能のままに闘え」って言われてて、それを素直に受け入れていた僕がいたので。全く疑うこともなく、「来るならこいよ。人数なんて関係ねーよ!」みたいな(笑)。

――実際、小川vs橋本戦のあとの両軍入り乱れての乱闘は、大人数のケンカそのものでしたもんね。

村上 猪木会長からも小川さんからも、「なんかあったらすぐに飛び込んでいって、選手の盾になるのがセコンドだぞ」っていうことを教え込まれていたんで、向こうがきたらリングに飛び込むぞって気持ちだったんですよ。それで試合の裁定が出たあと、両方のセコンドがリングに上がって、こっちのセコンドにいたジェラルド・ゴルドーが、新日本の誰かを殴ったのを合図に乱闘が始まって、そっからはもうグチャグチャですよね。


――インタビューの続きは絶賛発売中のBUBKA8月号にて!


むらかみ・かずなり
1973年生まれ、富山県出身。1995年4月、和術慧舟會に入門。 1998年にUFOからプロレスラーデビュー。「平成のテロリスト」という二つ名のもと、様々な団体で活躍する。2002年9月に新日本プロレスに登場し、魔界倶楽部に加入する。2005年にはビッグマウスの第1号の所属選手となり、その後社長に就任。2008年からは前田日明旗上げの『THE OUTSIDER』で プレゼンターや警備責任者として活躍するかたわら、俳優としてTVドラマにも出演する。