【BUBKA 3月号】SKE48 高柳明音「次の人生の兆し」

ついにその日が近づいてきた。SKE48を支え続けてきた高柳明音の卒業だ。

これまであまりに多くのものを与えてくれた彼女が自ら下した決断。

今、僕たちができることは、彼女の卒業を惜しむことではなく、次の人生も幸せでいてくれるように願うことだ。

自分で決めた

――高柳さんにどうしても確認したいことがあるんですよね。それは、本誌19年1月号の取材で、松井珠理奈さんとお話を聞いた時に……。

高柳 あー、『Stand by you』の時ですね。

――そうです。そこで高柳さんが言っていたのは、「ナゴヤドームに立たないと卒業できない」ということでした。

高柳 はい。言いました。

――残念ながら、実現することなく卒業発表をしたわけですが、どんな心境の変化があったのかという点が気になっています。

高柳 正直、その取材の時点ではナゴヤドームを目指していたんです。スタッフさんたちがナゴヤドームを視野に入れていたことも知っていましたから。

――そうだったんですね!

高柳 はい。SKE48をそんな状況にしてくれたのは、次世代と言われている子たちが真ん中に立つようになって、結果を出すようになったからです。グループの新しい可能性を広げてくれたから、ナゴヤドームを目標にしていました。私の最後という意味でも、若い子たちのスタートという意味でもナゴヤドームをやりたかったんです。でも、誰のせいでもないけど、ナゴヤドームの話はなくなってしまいました。しかも、私がグループの未来だと思っていた子たちが私よりも先に卒業してしまって、そうなったら余計にナゴヤドームが遠く感じてしまいました。もし実現したとしても、2014年に初めてナゴヤドームに立った時に感じた、経験不足からくる悔しさを払拭することはできないだろうと思ってしまって。なので、ナゴヤドームという言葉を口にするのはやめました。実際、私が卒業発表してから、ファンの方に「ナゴヤドームに立つまで辞めないって言ってたじゃん」とも言われました。それはやっぱり苦しかったですね。私もメンバーも本当に行きたいと思っていたから。でも、それは未来のSKE48に託すしかないと今では思っています。ナゴヤドームに立てるくらい人気になって、広く愛されるグループになって……。今でもたくさん愛されてはいると思いますけどね。


――インタビュ―の続きは絶賛発売中のBUBKA3月号にて!


たかやなぎ・あかね
1991年11月29日生まれ、愛知県出身。SKE48・ チームKⅡ所属。名古屋の闘将、不死鳥、鷹柳……情熱という武器で関わる全ての人たちを夢中にさせた「SKE48の心」。原石から磨き続けた青春の宝石を携え、天高く羽ばたき、みんなのことを見守ってくれるはずだ。愛称は「ちゅり」。