【BUBKA1月号】話題の著者に直撃取材! 第25回 細田昌志 「沢村忠に真空を飛ばせた男 昭和のプロモーター・野口修 評伝」
ブブカがゲキ推しする“読んでほしい本”、その著者にインタビューする当企画。第25回は、『沢村忠に真空を飛ばせた男: 昭和のプロモーター・野口修評伝』の著者である細田昌志氏が登場。約10年の月日を費やして完成させた本作。ベールに包まれる沢村忠を、プロモーターだった野口修氏の証言、そして膨大な傍証から紐解くと、日本格闘史の一つの正史が見えてくる。
野口修という存在
――約550ページという大著です。本書の中でも書かれているように、戦前から昭和にいたるまで、まるで芸能史や格闘史の時空旅行。細田さんご自身、ここまで長い旅に至るとは……。
細田 思っていなかったです(笑)。当初は「野口修さんに話を聞けるだけで貴重」と考えていたので、イメージとしては、右翼のフィクサーと呼ばれた田中清玄のノンフィクション(『田中清玄自伝』文藝春秋)のような本にできればと思っていたんです。半年くらいで書き上げてしまおうと。ところが、比較的何でも話している田中清玄と違って、野口さんは都合の悪い所に関しては話してくれない。野口さんの言葉だけをまとめても本になることはないーー、取材を始めてから3カ月後くらいに「これは時間がかかる」と覚悟しました。
――歴史書と言っても過言ではない濃さです。60人を超える膨大な数の傍証と取材。タイトルにある沢村忠は、沢村に紐づく格闘史の前後が見えてこないこともあって、謎であると同時に関心が湧きづらいところがありました。野口修さんを知ることで、前後が見えてくる……そのダイナミズムが、歴史を覗いているようでたまらなく面白かったです。
細田 なぜ、今、沢村忠を多くの人が採り上げようとしないかと考えたとき、今の格闘技業界、格闘技メディアは、あくまで真剣勝負を前提として語るという背景がある。もちろん、これは当然のことです。でも、沢村忠は真剣勝負を前提としてないところから生まれているため、マスコミもどう評価していいか分からない。格闘技の記者やライターが、藤原敏男さんを題材に技術本を書くことはあっても、沢村忠で技術本を書くことはない。マスコミですら語り方や評価の基準が分からないのなら、一般の読者まで届くことは難しいです。
――野口修の足跡をたどらないと、沢村忠にたどり着けないことが、よく分かりました。しかも、野口修はキックボクシングの名付け親でもある。一時期、キックボクシングが4つのテレビ局で放送されるまでにいたる背景も分かる。これがまたドロドロしている(笑)。
細田 極真の門下生だった神村(榮一)さんが、後々、野口さんと商売敵になる協同企画に入社するわけですが、協同企画が日本テレビと組んでキックボクシングの中継をするとなったとき、神村さんは極真の門下生に声をかけるんです。「嵐五郎」としてデビューする盧山初雄さんなどは最たる例。大山倍達からすれば心中穏やかではなかったでしょう。しかも、大山倍達は野口修とも仲違いしている。そういう状況下で極真はNET(現在のテレビ朝日)と組んでキックボクシングに参入し、山崎照朝さんが鮮烈なデビューを飾るという。
ーーインタビューの続きは絶賛発売中のBUBKA1月号にて!
細田昌志
1971年岡山市生まれ。鳥取市で育つ。鳥取城北高校卒業。1998年からCS放送「サムライTV」の情報番組『格闘ジャングル』メインキャスターに就任。2000年からは放送作家としてのキャリアをスタート。歴史、芸能、格闘技に精通。著書に『坂本龍馬はいなかった』(彩図社・2012年)ミュージシャンはなぜ糟糠の妻を捨てるのか?』(イースト新書・2017年)。メールマガジン「水道橋博士のメルマ旬報」(博報堂ケトル)同人。
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