吉田豪のBUBKA流スーパースター列伝 レジェンド漫画家編 vol.4 『子連れ狼』『御用牙』日本の漫画原作者 第1号 小池一夫
漫画道とは死ぬことと見つけたり
いまが闘わなければいけないとき
漫画原作者として『子連れ狼』『御用牙』など数多くの名作を生み出してきた小池一夫。
右葉曲折の人生と、手塚治虫、さいとうたかをとの話、そして、昨今の漫画シーンに苦言を呈す。
世界的に支持される漫画界のレジェンドにプロインタビュアー・吉田豪が迫ります!
勝新と居合抜き勝負
―6年ぶりのインタビューです!
小池 吉田さんは相変わらずぜんぜん変わらないね。僕は足を骨折して、いまは体重も50キロになっちゃったんですよ。一昨年に左足、去年は右足と、坂道で転んじゃって。だから立って挨拶もできなくてすいません。
―全然気にしないで下さい!
小池 (吉田豪の着ているTシャツを見て)梶原一騎と真樹(日佐夫)さん(注1)ですか。残念ですな、ふたりともいなくなっちゃって。漫画の世界の英雄がみんないなくなったけど、梶原さんには死んでほしくなかったなあ。あの人は怖い人だけど気合を入れるには一番よかったなと思う。お互いに少年誌と青年誌で縄張りを分け合ってたからね。それでも青年誌の世界に侵略してきましたけど。「おまえの世界を潰してやる」「おう、じゃあ俺が少年誌を攻めるか」って言って飲んだこともありますよね。「やるか?」なんて言って。
―いい関係ですよね。
小池 いい関係でした。
―漫画関係の人が早死にするのはなんでなんだろうって、ずっと思ってるんですけど。
小池 無理してるからですよ。だいたいみなさん早くお亡くなりになるのは、夜型でお酒も飲み放題、あとスポーツもゴルフでもやればけっこう持つんですよ。そのゴルフもたまにやるぐらいで、麻雀もやらないしゴルフもやらないしっていう人が意外と早死にする。でも、僕はゴルフをしょっちゅうやってましたから、仕事の後、キャンピングカーに乗って夜のうちに移動してゴルフ場まで行って。
―おそらく、そこまで本気でゴルフやる漫画家の人もいなかったでしょうからね。
小池 いや、それだけ時間なかったからですよ。それだと起きたらすぐ着替えてコースに出られるから。移動の時間だけ眠ってね。
―趣味でゴルフやる人はいてもゴルフ雑誌(注2)を作るまでいく人はいなかったですからね。
小池 フフフフ、恥ずかしい(笑)。
―50代前後で亡くなる人も多いなかで、小池先生が現在81歳なのは奇跡ですよ! 水木しげる先生が「徹夜を自慢するような漫画家の人たちから死んでいく」ってよく言ってましたけど、水木先生はうまいことストレスを感じないようにしたんでしょうね。
小池 水木しげる先生が亡くなったのは93歳で、あまりにも大きなストレスを戦争で感じたからだと思うんです。左手を失って傷病兵になられたから送り返されたじゃないですか。もし水木さんが送り返されてなければ討ち死にされてたと思うんですね。あの人のストレスはそこでなくなってるわけです。
―あとは余生ぐらいの感覚で。
小池 あとは余生で気楽にね。水木しげるの幸福の七カ条ってあるでしょ、「怠け者になれ」「見えないものを信じろ」とか。あの人はたいへんな人だね。
―小池先生がいまでも元気にツイッターやったりしてるのは、ゴルフ効果ですかね ? いまでもお酒は飲んでいるみたいですけど。
小池 飲むっていっても1日1杯。飲んで2杯ですね。深酒したくなるときもありますが、それを控えてるからいいんじゃないですか。飲んじゃうと長生きできないから。それとお酒を飲むにも、ひとりで飲むタイプとみんなでワイワイやるタイプがいて、漫画家っていうのはだいたい孤独ですから、誰か誘って飲むっていうのはめったにない。だからパーティーやなんかでたまにみんなで会うぐらいですよね。みんなとつき合うと一晩飲んでるでしょ。ひとりで飲んでる酒なんて、1杯でその雰囲気さえ味わってしまえば、あとは帰って本読むか寝るか原稿描くかという生活に戻るじゃないですか。その繰り返しですね。
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小池一夫
1936年5月8日生まれ。秋田県出身。大学在学中から小説家を目指し、山手樹一郎氏に師事。卒業後は雀荘の店員など様々な職業を経験。その後68年にさいとうプロダクションに所属し、『ゴルゴ13』などの脚本に携わる。70年に「子連れ狼」を発表、後に世界的な大ヒット作となる。72年には叶精作や小山ゆう達とスタジオシップを設立。77年に後進の教育に力を入れるべく「小池一夫劇画村塾」を開講、高橋留美子、板垣恵介など大物作家を輩出。近年では小池先生自らの人生訓を語るtwitterのアカウント@koikekazuoが話題に。
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