【BUBKA 10月号】 吉田豪のBUBKA流スーパースター列伝 レジェンド漫画家編 vol.14 「グルメ漫画家の元祖」 ビッグ錠 インタビュー
今回のゲストは、グルメ漫画の元祖的作品『包丁人味平』で一世を風靡したビッグ錠。食べた人を麻薬的魅力でトリコにする“ブラックカレー”がいまだに語り継がれるなど、ビッグ錠が生み出した作品世界は強烈なインパクトを有している。こうした濃い味わいがどのようにして生み出されたのか、吉田豪がじっくりと聞いた!
貸本漫画ブームの中で漫画家デビューするが…
――今日はビッグ錠先生の漫画家人生をたっぷりと聞かせていただければと思います!
錠 そんなたいした人生じゃないですよ。
――いや、この前のTBSラジオ『サンドウィッチマンの週刊ラジオジャンプ』も相当テンションが高くておもしろかったですよ。
錠 サンドウィッチマンがおもしろいからね。ビールを飲むとしゃべり出すんだけど。
――飲むなら今日もつき合いますよ!
錠 仕事があるもんで昼間から飲めないんですよ。ラジオのときはシラフだったけど、うまくサンドウィッチマンに乗せられたから。
――頑張ります! デビューは貸本漫画で。
錠 戦後、手塚治虫先生が『新宝島』を出したのが小学校1年か2年生ぐらいのときだったかな。だいたいその時代は漫画っちゅうのは子供の読むもので、中学で卒業してたんですよ。中学を出たらいわゆる中間小説にみんないってたの。だから、漫画家になるなんていうのはとても考えられない、しかも昔の例でいけばどっかにお弟子に入ってとか、そんなこととても耐えられない性格だったから。
――漫画家になるのは難しそうだな、と。
錠 そしたら高度成長で、東京も大阪も集団就職ですよ。当時は町に2〜3軒、貸本屋がありましたからね。そういう子が仕事終わって銭湯に行って、だいたい銭湯の前に貸本屋があって、そこで借りて読んで寝るっていうのがライフスタイルになったの。ちょうど中学校のとき貸本屋さんが出てきて、東京と大阪に貸本屋さん専門の出版社があったんですよ。東京は白土三平さんとか水木しげるさんとかがやってられて、大阪は日の丸文庫っていうさいとう・たかをさんとか水島新司とかが描いてるところがあって、僕はわりあい漫画チックな日の丸文庫とは違う出版社の出身なんですよ。中学のときに落書きしてた同級生が、中学卒業して夏休みぐらいに遊びに来たら、貸本漫画を持ってきて、そいつの名前が載ってるんですよ。自分の友達の本が2冊出てるっていうのにびっくりして。で、そいつが「おまえも描いたらどうや?」みたいなこと言って、そこが入口だったんですよ。
―― インタビューの続きは絶賛発売中のBUBKA 10月号にて!
ビッグ錠
1939年10月17日生まれ。大阪府出身。地元の大阪で貸本漫画家としてデビューするも、一旦はデザイナーに転身する。その後に上京して“ビッグ錠”として漫画家再デビューを果たす。原作者・牛次郎と組んだ『釘師サブやん』でブレイク。同じく牛次郎とのコンビでの『包丁人味平』は料理対決の要素などで大人気を博して、後のグルメ漫画に大きな影響を与えた。その他の主な作品として、『ドクロ坊主』『スーパーくいしん坊』『一本包丁満太郎』『ぼへみあん』などがある。
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