【BUBKA 10月号】 プロレス界最大の謎が明らかに―― タイガーマスクと呼ばれた男 佐山サトル “沈黙の理由” Uインターの頭脳 宮戸優光 インタビュー

佐山サトル、前田日明の二人に師事したプロレスラー・宮戸優光。 タイガージム時代には寝食を共にして練習、様々な技術を学んできた。 強くて優しい、孤高の虎の素顔とはいったい?


タイガージムの練習

――宮戸さんは、プロレスラーとしてデビューする前から、佐山さんと前田日明さんのお二人に師事しているんですよね?

宮戸 そういうことになりますね。

――佐山さんと前田さん両方が師匠って、そんな贅沢な経歴の人、宮戸さんぐらいしかいないんじゃないですか?(笑)。

宮戸 本当にありがたいことですね。僕が14歳の時に、まだ新日本プロレスの新人だった前田さんと出会って、そこから練習方法をはじめ、いろんなことを教えていただいて。そういう中で、前田さんの先輩である佐山先生とのご縁もできて。だから、佐山先生との出会いも、それこそ14歳のときですよ。

――佐山さんとも14歳からですか。

宮戸 佐山先生がタイガーマスクになられる前どころか、メキシコへ(海外武者修行で)行く前。「格闘技大戦争」(77年11月14日、日本武道館で行われた梶原一騎主催の格闘技イベント)の前ですから。

――佐山さんがマーシャルアーツのマーク・コステロとキックボクシングルールでやった試合ですね。そんなに前なんですね。

宮戸 その頃に会わせていただいた印象は強いですね。僕は当時中学生ながら、新日本の道場で前田さんにマンツーマンで稽古つけていただいたりしてたんですけど、たまにオフの時、合宿所に佐山先生がいらして。応接間で寝っ転がってテレビを見ながら、近所の小学生をスネにぶら下がらせて遊んでたんですけど、それって何気なく見えて、すごいですよね。おそらく、30キロ以上の重量を寝ながら片足にぶら下がらせて振り回しているんですから。

――相当な体幹じゃないとできないですよね。

宮戸 あの脚力を見た時、「やっぱり、プロレスラーって普通じゃないんだな」と思いましたよ。当時、佐山先生のお名前はパンフレットに出ていたから知っていましたけど、まだ若手選手のひとりという立場でしたから、「プロレスラーというのは、若手でもこんなにすごいんだ」と驚いたのを覚えています。


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みやと・ゆうこう
1963年6月4日、神奈川県出身。佐山サトルの「スーパータイガージム」でインストラクターを経て、第一次UWFでプロレスデビュー。第二次UWFの旗揚げにも参加し、解散後はUWFインターナショナルの旗揚げに参加。「Uインターの頭脳」として団体を舵取りしていた。99年から「スネークピットジャパン」を設立。