【BUBKA 11月号】 R-指定(Creepy Nuts)最強の履歴書」なぜ臆病なラップ好きの少年は日本一のバトルMCになれたのか

日本屈指のMCバトルイヴェント「ULTIMATE MC BATTLE」(以下UMB)での三連覇や、TV『フリースタイルダンジョン』における、チャレンジャーを蹴散らし続けるモンスターとしての活躍など、流行と拡散を続けるMCバトルシーンの中で絶対王者として君臨してきたラッパーのR- 指定。その活動と並行して、DJ 松永と共にユニット:Creepy Nutsを結成し、現在はバトルからユニット活動に本格的に軸足を移し、「ROCK IN JAPAN fes.」などの数々のフェスにも登場し、その活動の幅を拡げている。今回はその彼のキャリアのターニング・ポイントを語ってもらった。R-指定はいかにR-指定となったのか。その転換点とは。


梅田の歩道橋の上で

――今回はR‐指定さんに人生の転換点を伺いたいんですが、そもそも、そういったエピソードやキー・ポイントのような出来事を多く覚えているタイプですか?

R‐指定 そうでもないですね。性格的にビビりな事もあるし、学生時代に成功体験が少なかったんで、予防線を張ってしまって、「これはイケる!」ってタイミングでも、「やー、でもまた悪くなるやろな……」みたいなことを思ってしまうタイプではありましたね。

――正の転換点であっても、それをそのまま受け入れられないというか。

R‐指定 だから『ダンジョン』にレギュラーで出演するようになって、そこで収入も安定したんですけど、そんな時でも、未来を悲観する曲とも受け止められかねない『未来予想図』を作ってしまったり(笑)。

――あの曲は、結論としては希望を歌ってるんだけど、「なぜこんな複雑な感情の曲を……」とも思いました(笑)。

R‐指定 それでも、これがあって変わったというポイントは何個かありますね。

――では、それを教えていただければと。

R‐指定 まずは梅田サイファーに参加したときですね。

――大阪の梅田駅の歩道橋で行われているサイファー(輪になってフリースタイルラップを行う事)ですね。最初にそこに参加したのは?

R‐指定 高校1年の夏やったんちゃうかな。最初は地元のツレだったラードっていうやつと一緒に行ったんですよね。最初は、YouTubeかなんかに上がってた梅田サイファーの動画をラードに見せて貰って、そしたら「あれ、全然、怖い感じじゃない。普通の兄ちゃん達がラップしてはるわ」って。僕は地元は堺で、堺にもクラブはあったんですけど、やっぱりクラブは不良でもなんでもない普通の高校生にはまだ怖い場所だったし、大阪アメ村のヒップホップ・コミュニティにもなかなか入っては行けなかったんですけど、梅田サイファーのこの感じなら俺らでも行けそうやなって。

――梅田サイファーに行ったのは、フリースタイルがしたいからなのか、友達が欲しいからなのか、ラップがしたいからなのか、どれが近いですか?

R‐指定 「ラップがしたい」が一番近いですね。とにかくラップを人前でもしたかったし、聴いて欲しかった。しかも、サイファーやったら人のラップも聴けるし、自分もラップ出来るしって思ったんですよね。それで梅田サイファーに飛び込んで。


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R-指定●大阪府出身のラッパー。高2から梅田サイファーに通いバトルやライブ活動を開始。2012年からMCバトル全国大会UMBで3連覇を成し遂げ、『フリースタイルダンジョン』の初代モンスターとして活躍。現在はDJ松永と Creepy Nuts として活動中。