【BUBKA 2月号】欅坂46 守屋茜 仲間と夢と風グラビア&合計3万字ロングインタビュー 「弱音を吐く自分は許せないし嫌なんです」

吹きつける風に立ち向かい、仲間と別れて、それでも前へと歩を進める4人。

叶えたい夢があり、自らに誓った約束があり、胸に秘めた覚悟があるから、欅坂46に青春を捧げていることを誇りに思える。

凛々しさ溢れるグラビアと合計3万字にも及ぶソロインタビューから、彼女たちの生き様を感じてほしい。

人は変わる

――守屋さんはちょうど高校3年生のときに欅坂46に入って、今年でまる3年経ちました。10代後半から20歳に向けての時期を欅坂46の活動に費やしてきたわけですが、同世代の女の子は守屋さんの目にどう映っていますか?

守屋 普通に楽しそうだなって思います。こう、いい意味で何かを背負って生きてる感じがまだそんなに感じられないじゃないですか、同い年ぐらいの子たちって。これから職業についていろいろ考えると思うけど、今も学校生活とかいろいろ見えないところで悩んでいたりするわけですよね。それこそ私たちの曲を聴いて「自分たちの気持ちを代弁してくれている」と思ってくださる方もいると思うんですけど。でも、単純に純粋に楽しそうだなって、来てくださる同世代のファンの方を見ても思います(笑)。

――守屋さんはそういう同世代と比べて、ひと足先にこの世界でやっていくと決めたわけですが、そういう覚悟が自分の中で固まったのはいつ頃のことでした?

守屋 高3の進路を決める段階で、大学に行かないでここでやっていくと決めたときから「後戻りはできない」って気持ちでいたので、わりと最初の頃から固まってました。それが段階を踏んで、気持ちがより固まっていった感じではあるんですけど。周りの子たちが大学に進んだり、自分が就きたい職業のために専門学校に行って勉強している間に、私は「ここでやるしかない!」と思ってました。

――その段階を踏む中で、よりギュッと決意が固まったタイミングって覚えていますか?

守屋 最初はCDデビューしたタイミングかもしれないです。でも、最初の頃はそういう覚悟というよりも、ただがむしゃらに頑張らなきゃと思っていたかもしれない。最初はフロントの子たちがグループの顔になって頑張ってくれていたけど、私自身は全員撮影以外に個人のお仕事ってあまりなくて。どうしたらもっと撮影に呼んでもらえるようになるのかなとか、何を頑張ったらいいんだろうって悩んでました。それがちょうどデビューの少し前ぐらいの時期で……次の年に入って役職(副キャプテン)をいただいたときには……そのときはあんまり意識していなかったんですけど、そういう役職をいただいたことは「この世界で頑張っていこう」という思いがより芽生えたきっかけだったかもしれないです。でも、いただいたときは正直よくわかってなくて。

――というと?

守屋 副キャプテンって乃木坂46さんにもなかったじゃないですか。その立ち回りがよくわからなくて、当時は反抗期じゃないけど「副キャプテンだから~」と言われるのがすごい嫌な時期だったんですよ。ちゃんと自分のことを見てもらえていない気がして。

――守屋茜という個人と向き合うのではなく、「副キャプテン」という冠を挟んで会話しているような感じになってしまったと。

守屋 そうなんです。当時はそこがすごく気になってましたね。


――グラビア&インタビューの続きは絶賛発売中のBUBKA 2月号にて!


もりや・あかね
1997年11月12日生まれ、宮城県出身。長沢菜々香に「妖怪無添加探し」と名付けられるほどオーガニックには目がない、欅坂46の「美容番長」。圧倒的な美力で周囲を黙らす、まさに「『ねん』は剣よりもペンよりも強し」。愛称は「あかねん」。