【BUBKA 2月号】輝け!BUBKAアワード2018-2019 元WBA世界ライトフライ級王者 具志堅用高 『2018年、そして次の時代に向けて「拳」で道を切り拓いた男が語る!』

平成最後の年末、BUBKA アワード開幕。今年も各ジャンルのスペシャリストが一年を振り返りながら、それぞれの得意分野を総括!

最初に登場するのは、タレントとしても活躍する元ボクシング世界ライトフライ級王者の具志堅用高。「100 年に一人の天才」と言われ、いまだに破られることのない記録を持つ彼に、激動の現在、そして未来について語ってもらった。

あれは大物になりそう

――具志堅さんにとって、2018年はどんな年でしたか?

具志堅 ボクシング以外でいうと、ほとんどテレビの仕事をしていましたね。毎日、外に出ていますから。大晦日と元日だけは仕事を入れないで家にいますけど。たまの休みはゴルフ場(笑)。だから、あっという間に過ぎていくんですよ。ジム(白井・具志堅スポーツジム)に毎日行ければいいんですけど、なかなかそういうわけにもいかなくてね。ウチのジムから2人、日本ユースのチャンピオンが生まれたのは元気をもらいましたね。だから、今年の漢字は元気の「元」! まあ、北海道で地震があったり、西日本で豪雨災害があったりしたしね。元気を出して、前に進んでほしいという思いも込めてね。

――今年の大きなニュースで忘れてはならないのが、日本ボクシング連盟の山根明会長(当時)だと思います。

具志堅 彼が会長になる前に2、3回会ったことがあるかな。飯も食べたことあるよ。おおらかな人でね。会長になってからは挨拶ぐらいかな。世界タイトルマッチはリングサイドに座ってるから。

――あっ、来ていたんですね!

具志堅 そう。ウチの比嘉大吾の時も、村田(諒太)、井上(尚弥)の時もね。問題が起きる前は来てましたよ。山根会長になってからプロとアマの垣根が低くなったんですよ。でも、山根会長は海外に飛んで、いろんなアクションを起こしてきて、ビジネスのつながりをいっぱい持ってたんですよ。オリンピックでメダルを2つも獲ったでしょ?

――2012年、ロンドン五輪の村田選手と清水(聡)選手ですね。

具志堅 そういうのも山根会長の力が大きいんだよね。ただ、高校生相手にグローブを高く売っちゃいけない!

――そんな報道もありましたね(笑)。

具志堅 あと、奈良判定? 僕はジムをオープンした頃はアマチュアの試合をよく観に行っていたんだけど、最近は行っていないからわからないんですよ。観に行ってた他のジムの人からすれば、おかしいじゃないかっていう判定はあったのかもしれないね。そういうことでボクシングのイメージダウンになって、ジムに来る人が減っちゃうと困っちゃうよね。


――インタビューの続きは絶賛発売中のBUBKA 2月号にて!


ぐしけん・ようこう
1955年6月26日、沖縄県石垣市出身。1974年にプロデビュー。当時、国内最速の9戦目、21歳にして世界チャンピオンの座に上り詰める。6連続KOを含め、いまだに破られることのない世界戦13度防衛を樹立。1981年に引退後は、スポーツ解説者・指導者・タレント・俳優としてアグレッシブに活躍している。