【BUBKA 4月号】戦国時代から語る平成アイドル史 吉田豪×南波一海

平成の時代に彩りを与え、そして僕らの心を熱くさせたアイドルの数々。

本特集では特にももいろクローバーZのブレイク以降から現在に至るまでのシーンを振り返ってみようと思う。

アイドルの音楽性、パフォーマンスの自由度が増し、グループも数多く増え、そしてあの事件もあった……そんな狂騒のシーンを長年見続けてきた二人に語りおろしてもらった。

写真提供=ナタリー

Perfumeの熱狂とでんぱ組の誕生

――今回はももクロのブレイクぐらいから今へと至る平成後半のアイドルシーンについて、お二人に語っていただこうと思います!

吉田 まず、AKB48結成が2005年で、アイドリング!!!が2006年ですよね。で、2007年はPerfumeがブレイクして、地下アイドルがビジネスになる原点ができた年なんですよ。一気にPerfumeフォロワーみたいなテクノアイドルが出てきたり、徳間ジャパンがもう一発当てようとしてバニラビーンズを作ったり。

――当時、テクノアイドルって流行ってましたよね、それこそAiraMitsukiとか生まれたのもその時期で。

吉田 流行っていたというか、(大西)輝門さんが全くその気もない、「歌姫オーディション」に受かった女の子を勝手にテクノアイドルにする恐ろしいシステムを作り、そんなデートピアという会社に入社したのが渡辺(淳之介)さんで。だから2007年は起点って感じがします。

南波 渡辺さんはその時代に松隈(ケンタ)さんと出会ったんですよね。

吉田 ですね。デートピアは安易になんでもパクる会社だから、恐らく渡辺さんの中で「あ、気軽にデタラメやっちゃっていいんだ」という思いが芽生えたはずなんですよ。

南波 ハロプロが「プラチナ期」と呼ばれる内向きな時期だったのもあって、みんなが新たなアイドルを求めてた時にちょうどPerfumeがハマった。僕が『ミュージック・マガジン』とか『CDジャーナル』で書き始めたのがこの時期なんですよ。

吉田 まだ真っ当な音楽ライターだった時代。

南波 アイドル関係以外の仕事だけをしていた時期です。Perfumeだけがそういう音楽誌に載ってたんですよね。

吉田 その前でいうとボクが『スウィートドーナッツ』を『クロスビート』で紹介しようと思ったら、編集部からストップがかかる時代だったわけですよ。ボクが担当者と戦い続けて、『Perfume~Complete Best~』でようやく紹介することができた。それぐらい音楽雑誌はアイドルに対して本当に冷たかったですよね。


――記事の続きは絶賛発売中のBUBKA 4月号にて!


吉田豪
本誌でもおなじみのプロインタビュアー。ラストアイドルの審査員、農業アイドルの事件以降の告発DMなど近年アイドル絡みでTwitterが話題になることもしばしば。

南波一海
全国各地のアイドル音源を収集するのがライフワークな音楽ライター。監修したアイドルコンピ『JapanIdol File』(2013年にvol.1、2015年にvol.02をリリース)は民俗学的貴重資料であることは間違いない。