【BUBKA 4月号】吉田豪のレジェンド漫画家編 BUBKA流 スーパースター列伝 vol.20 池沢早人師『サーキットの狼』

1970年代に爆発的なスーパーカーブームを巻き起こしたレーシング漫画『サーキットの狼』。

その作者であり、自身も数多くの名車のオーナーとしても知られる池沢早人師(旧・さとし)。週刊連載というハードワークをこなしながら、スーパーカーを颯爽と乗り回すなど、遊びにも熱心だったという、その異色の漫画家人生に吉田豪が迫る!

真面目に硬派に漫画家を目指していた学生時代

――『サーキットの狼』直撃世代です!

池沢 え、なんだこれ?(持参した自転車用バッグとかのグッズを見て)すげえな、全然知らない。でも、まだ年は若いよね?

――いや、もう48歳なので小学校1~2年ぐらいがスーパーカーブームで、街のスーパーカーの写真を撮ったり、晴海の自動車ショーとか行ってました。なので、最近になってサンドウィッチマンのラジオで池沢先生の発言を聞いて、かなりの衝撃を受けましたよ。

池沢 ……え、なんで?

――現在68歳で、歯のホワイトニングに永久脱毛までしてるっていうことに(笑)。

池沢 ハハハハ! 脱毛は3回ぐらいやったんだけど担当のおネエちゃんが辞めちゃってね(笑)。歯をやったり髪にこだわったり。

――漫画家では珍しいタイプだなと思って。ボクが知る限り、歯のホワイトニングをやってたのは板垣恵介先生ぐらいですからね。

池沢 ああ、ほかにもいたんだ(笑)。

――漫画家離れした人がやる印象ですね。

池沢 すべては女にモテたいため(笑)。

――この年齢を感じさせない佇まいも異常ですけど、それでいて学生時代は真面目に漫画家を目指してたから、女とか車の話をするチャラチャラした連中を軽蔑してたっていう。

池沢 そうそうそう、いろいろ知ってますね(笑)。だって、漫画しかなかったからね。ただ、親に反対されて中学時代からあんまり漫画を描けなかったんですよ、隠れて描くぐらいで。

――押し入れで漫画を描いて。

池沢 そうそうそう、けっこうもう知ってるじゃないですか(笑)。じゃあ、今日はなるべくあんまり語ったことないようなことを話すのがいいね、ある程度わかってるなら。

――珍しいタイプだと思うんですよ、プロになる前が一番真面目に漫画を描いてた人は。

池沢 すごい数を描いてましたね。ちばてつやさんにあこがれて、男性誌と女性誌に描きたいっていうのがあったから。でも、プロになる前はみんな必死なものなんじゃないの?

――池沢先生は、プロになってからずっと軽やかに生きている感じじゃないですか。普通は、プロになったあと苦しんでますからね。

池沢 ああ、そうかもしれないね。まあ運がよくて順調だったっていうのはあるけど。

――プロになる前は締切りもないのにひたすら描いて、次々と投稿していたわけですね。

池沢 覚えてないけどかなりの数なのは間違いないね。高校3年間で20~30本ぐらい。まず、高校2年のとき『りぼん』に応募して名前だけ載ったんですよ。そのとき入選したのが一条ゆかりと弓月光ともりたじゅん。そうそうたるメンツが揃ってるけど、俺は名前だけ(笑)。『マガジン』にも送って、『ジャンプ』っていう新しい雑誌が高校3年の7月に出て、募集してたから送って。それが佳作入選ということで4人選ばれて。大賞はいなかったと思うけど。俺とあだち充の兄貴と神江里見っていうさいとう・たかをのとこ行ったのと、もうひとりがシマダ? 『ジャンプ』で少し描いたことあるヤツ。


――インタビューの続きは絶賛発売中のBUBKA 4月号にて!


いけざわ・さとし
1950年8月27日生まれ。千葉県出身。高校在学中の1969年に『週刊少年ジャンプ』において『怪童のひびき』で漫画家デビュー(当時のペンネームは「池沢さとし」)。同誌で1975年から連載した『サーキットの狼』で日本中にスーパーカーブームを巻き起こす。2009年には茨城県に「池沢早人師サーキットの狼MUSEUM」を開館。2012年より小説家としての活動もはじめ、『スーパーカー値千金』『三流レーサー』などを発表している。