【BUBKA 4月号】スタン・ハンセンが語る「日本プロレス界の黄金期」
新日本プロレス、全日本プロレスのリングにあがり、もはや日本でいちばん有名だった「外人レスラー」と言っても過言ではないスタン・ハンセン。
彼がマットの上で相まみえてきた錚々たるレスラーたちとの秘話、そしてともに戦ってきたブルーザー・ブロディについて……来日中の不沈艦に当時の真相を聞いてきた。
ミスター・ババとイノキ
――今回、「ジャイアント馬場没20年追善興行~王者の魂~」(2月19日、両国国技館)のために来日されたわけですけど。馬場さんが亡くなって早20年、どんなお気持ちですか?
ハンセン もう20年も経過してしまったなんて、信じられないね。本当に時間というものは、あっという間にすぎてしまうものだと痛感するよ。
――ハンセンさん自身、2001年に52歳で引退されて18年が経ちましたけど、見た目が昔と変わりませんね。
ハンセン 髪の毛も髭もすっかり白くなってしまったけどね(笑)。
――でも、僕ら日本人からすると、金髪と白髪はそんなに見分けつきませんから(笑)。体型も変わらずコンディションも良さそうですが、今でも運動はされているんですか?
ハンセン 1週間に最低5日間は、トレーニングをしているよ。もちろん、そんなにハードなものではなく、ジムで軽くウェイトをやったりバイクを漕いだりというものだけどね。
――現役末期よりも身体の調子はいいくらいなんじゃないですか?
ハンセン 末期は、身体中ボロボロだったからね。引退後に全身いろんなところを手術して、ようやく痛みから解放された生活を送れているんだ。
――僕らが子供の頃に憧れた外国人レスラーは、すでに亡くなられた方も多いですけど、ハンセンさんは強いイメージのまま引退されて、こうして今でも元気でいてくれているので、非常にうれしいです。それは猪木さんも同様なんですけど。
ハンセン ミスター・イノキにしても自分にしても、そういうふうに思ってもらえるのはうれしいし、身体が動かなくなる前に辞めたのは、良かったのかなと思うよ。
――ハンセンさんは、猪木さんと馬場さん両方のライバルだったわけですけど、プロレスラーとして、またプロモーターとして二人を比べた場合、いかがですか?
ハンセン ミスター・イノキは、日本で最初にチャンスを与えたくれた人で、ニュージャパン(新日本プロレス)は自分のキャリアの本当の意味でのスタートみたいなところがあるから、非常に感謝している。一方、時間的な意味で最も長く闘ったのはオールジャパン(全日本プロレス)で、ミスター・ババは長年、自分にとってボスでもあった。どちらも自分にとっては恩人のようなものだから、その二人を比べることはできないね。英語ではよく「リンゴとオレンジを比べるようなこと」と言うんだけど、比べようがないんだ。
――インタビューの続きは絶賛発売中のBUBKA 4月号にて!
スタン・ハンセン
1949年生まれ、アメリカ・テキサス州出身。本国でプロレスラーとして活躍した後、1975年に全日本プロレス初来日。1977年に新日本プロレスに参戦し、アントニオ猪木のライバルとしてブレイクする。1981年に全日本に電撃移籍。2001年に引退。
0コメント