【BUBKA 9月号】《いつのまにか、ここにいる Documentary of 乃木坂46』総力特集》齋藤飛鳥 インタビュー「私の通過儀礼」
齋藤飛鳥はわかりづらい人だ。だからこそ「新エースがどのように描かれるのか?」ということは、この映画にとって大きな意味を持つことになるだろうと考えていた。
多くの人たちは東京・葛飾で生まれた二十歳の女性としての素顔に、様々な感想を持ったことだろう。
あまりにも齋藤飛鳥らしくない場所で見せた、あまりにも齋藤飛鳥らしい立ち居振る舞い。あの一日は齋藤飛鳥にとって、なぜ必要だったのか?
同窓会出席の理由
7月5日に公開された映画『いつのまにか、ここにいるDocumentary of 乃木坂46』を観た人の感想に耳を傾けてみると、大抵の場合、齋藤飛鳥のとあるシーンが印象に残ったと答える。そのシーンとは、今年1月、彼女が地元の成人式に参加し、その足で中学時代の同窓会に顔を出すというものだ。
久しぶりに地元へ帰り、懐かしい顔ぶれと再会する。ただそれだけのことなのに、なぜか観ていてヒリヒリする。べつに初恋の人が出てくるわけではないし、いじめられていた過去を告白するわけでもない。なのに、心がざわつく。そのヒリヒリする感覚が観客の心に残るのだ。
その心のざわつきの理由は、映画の中である程度の説明はされる。しかし、彼女の心の内をもう少し詳しく知りたい。本誌は齋藤飛鳥に取材をオファーした。
まずは、映画全体の感想から聞いてみた。
「私はみんなのことをあまり知らないなって思いました。みんな卒業のことに関して結構話したりはするんです。それって我々は必ず通る道だから。だけど、本当のところでどう思っているのかということを私はまったく知りませんでした。乃木坂46って、年齢が上のメンバーのほうがちょっと子供っぽかったり、無邪気だったりすると以前から思っていたけど、映画の中のみんなの話を聞いたら、ちゃんと考えてるんだなっていうか。自分の考えはまだ足りないんだなって気づきました」
映画は、西野七瀬らが卒業していく姿をとらえる。なぜ卒業するのか。卒業したらどうなりたいのか。アイドルにとって、あるいは乃木坂46にとって卒業とはどんな意味があるのか。卒業生だけでなく、残されるメンバーにもインタビューをして、卒業という「必ず通る道」について掘り下げていく。飛鳥は、一連の言葉を聞いて、自分がまだ卒業という時期に直面していないことを知ったはずだ。「自分の考えはまだ足りない」というのは、そういう意味だろう。
劇中、岩下力監督が飛鳥にインタビューしようとすると、やんわりと拒否する場面がある。監督とは面識がないわけではない。監督は過去にグループ全体に密着した経験もある。知らない顔ではない。だが、飛鳥は、「他のメンバーを……」と言うのだ。
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さいとう・あすか
1998年8月10日生まれ、東京都出身。葛飾からエディンバラの空へと飛翔し、可愛さのドーヴァー海峡横断に成功した孤高の海猫少女。海外帰りに味わう日本食は味噌汁。飛ぶ鳥の勢い余って、握手会の会場ではセグウェイで壁に激突した。愛称は「あしゅ」。
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