【BUBKA 12月号】話題の著者に直撃取材!BOOK RETURN 第13回『黙示録 映画プロデューサー・ 奥山和由の天国と地獄』春日太一

ブブカがゲキ推しする“読んでほしい本”、その著者にインタビューする当企画。第13回は、『黙示録 映画プロデューサー・奥山和由の天国と地獄』を上梓した春日太一氏が登場。

80 ~ 90 年代の日本映画界に革新をもたらした時代の寵児は、実は超泥臭いトラブルシューターだった!? 

25時間を超えるインタビューの果てに見えた、名プロデューサーの姿とは──。

トラブルシューター

――帯の「映画史をくつがえす凄まじい証言」の言葉に偽りなしというか、すさまじい一冊でした。奥山さんとともに登場する人物のカラフルさ、濃度、狂気……約400ページ、興奮が止まらないというか。改めて、奥山さんとは、映画界においてどんな人物なのか教えてください。

春日 今の日本映画にいたる流れを作った人だという言い方が分かりやすいと思います。それまで日本映画は、東映、松竹、東宝というように、映画会社が一括して作品を作り上げていたんですが、それだとどうしても社内のパワーバランスが大事になってしまいます。このままでは映画界がダメになってしまうという状況で、奥山さんは外からお金を集めることを始めるわけです。それは今の「製作委員会」のシステムに近いものです。映画界が落ちていっているのであれば、落ちた状況でどうすれば変えられるか……映画会社を変えるのではなく、違う業界を巻き込んでいくなど、自分の作りたいものを作るために、どうやって映画界を再生させればいいかを実践的に考え抜いた人ですね。それが今の日本映画にお客さんが入る状況の基盤になったといえると思います。

――日本映画が絶望的な状況を迎えつつある中で、奥山さんが辛酸を舐めながら旗を振り続けるという時代背景も面白いです。

春日 1970年を前後して東宝、東映、松竹、日活、大映の大手5社が作る映画業界のある種の村社会はお客さんが入らなくなることによって崩れていきます。その間隙を突くように、70年代後半から角川春樹率いる角川映画が台頭し、常識を破っていくと。ところが、角川映画も80年代中盤になるとまた人気が落ちていきます。奥山さんが台頭した90年前後、松竹は『男はつらいよ』、東宝は『ゴジラ』、東映は『極妻』に頼りっきりで、何も新しいものが生まれてこなかった。何もなかったからこそ誰かがやらなければいけないところに、問題意識を持っていた奥山さんが現れた。しかも、松竹の重役である父・奥山融さんの二世だったという環境を持っていたのは、ある種タイミングが合ったんだと思います。

――七光りに頼るどころか、父と松竹に反旗を翻すかのごとく身バレしないために偽名を使って助監督デビューしていたとは……。その直後に、神とあがめる深作欣二監督を擁するライバル会社・東映に入社しようと、深作さんに直談判に向かうのだから無茶苦茶すぎる(笑)。

春日 おそらく、当時の人が奥山さんに抱いていた印象って、”映画界を牛耳ってる人””好き勝手にやってる人”だと思います。ところが、あまりそういうところがなくて。取材を重ねて見えてきたのは、若手の頃からトラブルシューターとして色んな人に気を遣って、苦しんで苦しんでネゴシエーションをやってきた人です。取材を重ねるごとに、抱いていたイメージが変わっていきました。奥山さんの言葉で印象的だったのは、「プロデューサーとは才能に対する奉仕である」という言葉で、今の奥山さんの仕事に至るまで一貫しているところだと思います。


――インタビュ―の続きは絶賛発売中のBUBKA12月号にて!


かすが たいち
1977年東京都生まれ。時代劇・映画史研究家。日本大学大学院博士後期課程修了(芸術学博士)。映画界を彩った俳優達のインタビューをライフワークにしている。その確かな筆致・構成・取材力は幅広い支持を得ている。著書に『天才 勝新太郎』『仲代達矢が語る 日本映画黄金時代』『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』『なぜ時代劇は滅びるのか』『役者は一日にしてならず』など。現在、週刊ポスト、週刊文春にてコラムを連載中。