【BUBKA4月号】日向坂46 金村美玖 「Schoolgirl Superiority」
3列目から始まった金村美玖のアイドル人生。
鮮度抜群の笑顔と合言葉の「推すしかない」を絶やさずに前だけを見つめてきた想いが実り、ついにグループのフロントへと到達した。
そして、高校生活最後の1年となる2020年。
陽の当たる坂道を全速力で駆けのぼる。
3列目から
――BUBKAで最初にインタビューをした時、金村さんはまだ16歳で「ゆくゆくはアイドルとして、脂の乗ったカマトロになりたい」と話してて。
金村 はい、覚えてます(笑)。いやぁ、時間が経つのは早いです。
――実際、どんどんカマトロに近づいていると思いますよ。今回の『ソンナコトナイヨ』では、ついにフロントメンバー入りですからね。
金村 目の前のことをガムシャラにやるしかなかったので、それを続けたら今回の結果に至って。私が何かしたかな?と考えたらあんまり思いつかないんです。発表の時に「選ばれた理由」を聞けるわけじゃないので、今も自分自身を模索しながら色々と活動させていただいてます。
――金村さんは、けやき坂46の頃から自分のポジションに葛藤しながら向かい合っている印象があって。
金村 まだ2年間という短い時間ですけど、3列目から始まっていろんな場所で歌わせてもらってきたので、その度に葛藤もありました。特に、最初は右も左も分からない状態からのスタートだから「どうしよう、全然ダメだ」の連続で。
――けやき坂46でリリースした『走り出す瞬間』の時に、否定し続けていた自分のことを肯定できるようになったと話してましたよね。
金村 『走り出す瞬間』では、楽しい思い出がいっぱいあってすごく居心地が良かったんです。ポジションに関係なくアイドル活動が楽しいと思えたし、そもそもカッコイイ曲が好きなので、笑顔だけじゃないクールな曲調も素敵だなって。そういう新しい表現力を身につけたいと思ったのが、この頃ですね。ただ、そこから日向坂46になるまでの道のりは長くて。グループが独立すると聞いた時は、自分もみんなの力になりたかったんですけど、実際はうまく出来なくて不甲斐ない気持ちになったりもして、まだまだ葛藤してました。
――その後、去年の2月「日向坂46」に名前が変わり、4月にリリースした『キュン』で華々しいデビューを飾りました。
金村 色んなバラエティ番組や歌番組に出演する機会が目まぐるしく増えて、すごく嬉しかったです。あの時期は”嬉しい忙しさ”っていうか(笑)。
――『キュン』は発売初日で36万枚の売り上げ、女性アーティストのデビューシングルでは歴代最高の初週売り上げも記録して。
金村 率直に驚きました。こんなに注目してくれている人たちがいるんだなって、ありがたかったです。
――3列目のポジションに選ばれたことは、正直どうでした?
金村 割と納得していたかもしれないです。落ち込むとかじゃなくて「もっと頑張らなきゃな」と思いました。そこから4ヶ月後の7月には2ndシングル『ドレミソラシド』をリリースすることになるんですけど、とにかく日向坂46のブームが『キュン』だけで終わらないように、グループのカラーを出していけたらと必死でした。
――しかも金村さんは『ドレミソラシド』で、2列目真ん中のポジションを任されましたよね。
金村 センターがカメラに抜かれることによって、後ろに映る機会も多くなったので一瞬でも気を抜いてたらダメですし、それで日向坂46として今後の印象が変わると思ってました。ファンの方は本当にじっくり見てくださるので、細かいところまで意識を高めて歌番組に挑んでました。
――さらにカップリングの『Dash&Rush』で初センターに抜擢されて。
金村 いや、ビックリしました。正直、私に務まるのか分からなかったんですけど「ここが自分を変えるポイントかな」と思ってすごい張り切ってて。隣に(小坂)菜緒も(渡邉)美穂もいましたし、みんな心強いメンバーだから「私が何かしでかしても大丈夫だ」という安心感もあったおかげで、とにかく自分がここでガツンとやってみようって。そう考えると2ndシングルは、私にとってターニングポイントでした。
――グラビア&インタビュ―の続きは絶賛発売中のBUBKA4月号にて!
かねむら・みく
2002年9月10日生まれ、埼玉県出身。愛称は「みく」「おすし」。
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