【BUBKA4月号】話題の著者に直撃取材! 第17回 今尾恵介 『地名崩壊』

ブブカがゲキ推しする“読んでほしい本”、その著者にインタビューする当企画。第17回は、『地名崩壊』の著者・今尾恵介氏が登場。地図研究家が教える、地名が崩壊&上書きされていく歴史的背景とは!? ブランド地名の陰に捨て去られた地名あり。新駅「高輪ゲートウェイ」開業前に知っておきたい、地名からのメッセージ!

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――地図や地名に関する数々の著書を手掛ける今尾さんですが、今回は「地名崩壊」というドキッとするタイトルです。きっかけは何だったのでしょうか?

今尾 一昨年12月、JR山手線・京浜東北線新駅の名称が「高輪ゲートウェイ駅」と発表され、大きな物議を醸しました。私自身、近現代以降、いかに日本の地名が粗略に扱われていたか痛感していたものですから、編集者から新書のお話をいただいた際、なぜ「高輪ゲートウェイ」のように地名が崩壊していくのか……、その背景や考察を綴れればと思ったんですね。

――能町みね子さんが撤回を求めて署名を行うなど、発表当初から悪評が飛び交った新駅の名称ですが、まもなく3月14日に開業します。後世までこの駅名が残ると思うと、何ともいたたまれない気持ちになります(苦笑)。

今尾 銀座、成城、田園調布といったブランド地名がある一方、捨てられてしまう地名があります。例えば明治の頃の銀座は中央通り沿いの一丁目から四丁目だけで、現在の「銀座」エリアのわずか9%に過ぎません。つまり、91%は”ニセ銀座”なわけです。

――ニセ銀座! なんというパワーワード(笑)。ブランド地名である銀座に乗っかったエリアがあるというわけですか?

今尾 そうです。元々、銀座は一丁目から四丁目まで存在していたのですが、昭和5年に五丁目から八丁目が生まれ、さらに東西にも広がっていきました。その影響で、出雲町、竹川町、木挽町といった由緒ある数々の地名が捨てられてしまったわけです。銀座に限った話ではなく浅草や麻布、赤坂などもそうです。江戸の町は非常に細かく町名が広がっていたのですが、現代になるにつれて統廃合し簡略化されました。もちろん、新宿区の牛込のように住民の反対運動によって地名を守った場所もあります。ですが、そういった運動がなければ、地名は捨て去られ、何丁目何番地という無味乾燥な地名になってしまう。

――本の中で、地名が上書きされていく要因として、関東大震災、住居表示法、平成の大合併、政令指定都市などが挙げられています。今尾さんが、もっとも地名崩壊をもたらした出来事を挙げるとしたら何でしょう?

今尾 地名軽視の最大の契機は「明治の大合併」と言われる明治の町村制だと思いますね。江戸時代の村は、基礎自治体としては小さすぎるので、ドイツのプロイセンの自治制度を参考にして、日本でも近代国家の基礎自治体を作りましょうということになりました。それによって約7万あった町村は1万6000ほどに減っています。江戸時代の旧来の村は、大字〇〇という名称になりました。


――インタビュ―の続きは絶賛発売中のBUBKA4月号にて!


いまおけいすけ
1959年神奈川県生まれ。地図研究家。明治大学文学部ドイツ文学専攻中退。中学生の頃より地図帳を愛読。授業で国土地理院発行の地形図に出会い、地形図マニアになる。音楽出版社勤務を経て、1991年より執筆業を開始。地図や地形図の著作を主に手がけるほか、地名や鉄道にも造詣が深い。現在、(一財)日本地図センター客員研究員を務める。『地図帳の深読み』など著書多数。