【BUBKA4月号】天龍源一郎がレジェンドについて語る ミスタープロレス交龍録 第18回「長州力」

天龍源一郎は、その40年間の“腹いっぱいのプロレス人生”で様々な名レスラーと出会い、闘い、交流した。ジャイアント馬場とアントニオ猪木の2人にピンフォールでの勝利を収めた唯一の日本人レスラーであり、ミスタープロレスとまで称された天龍。そんな天龍だからこそ語れるレジェンドレスラーたちとの濃厚エピソードを大公開しよう!

写真/平工幸雄

 俺が長州力っていう名前を知ったのは吉田光雄から長州力に名前を変えた時。あの頃はアントニオ猪木とか、ジャンボ鶴田とか、横文字のリングネームが流行っていたのにコテコテの日本人の名前だったから「この人、かわいそうだな」って思ったのを憶えてるよ(笑)。

 その後、78年にフロリダに行った時にタイガー服部さんから「ここに光雄がいて……」って話を聞いて、ミュンヘン五輪に出場した長州もプロレスに来て苦労したんだなって、勝手に凄く親近感を覚えたんだよ。それまでは新日本プロレスの選手は誰も気にならなかったけど、長州力っていう人だけは気になったね。

 初めて会ったのは83年暮れ(12月21日)のプロレス写真記者クラブの表彰式。男子レスラーで表彰されたのは、俺と長州力だけっていうのは誇らしかったよ。噛ませ犬発言っていうインパクトのあることをテレビの生中継でやって、維新軍として一気に駆け上がった長州選手と、そういうことが一切ない全日本の俺が一緒に表彰されたんだからね。

 会ってみて感じたのは……素直な人だったね。自分に素直っていうのかな。ただね、長州力っていう人は、長州力っていうキャラクターをよく知ってるよ。俺たち仲間内でいると”いい人”っていう感じなんだけど、ファンの人がサインをくれと言っても「サインなんかしないよ!」って徹底していたからね。それは生半可な気持ちでやれることじゃないよ。やっぱり心を鬼にして「長州力っていうキャラクターを守る!」っていう気構えがなきゃできないと思うよ。それを自分の中で徹底したんだと思うよ。

 85年にジャパンプロレスとして全日本に乗り込んでくる前は、俺の感覚としては友達だね。フロリダで服部さんに話を聞いて、勝手に友達感覚になって、実際に会ってみたらフランクな男だったっていう。その写真記者クラブの表彰式が終わった後に飲みに行って、それから結構、俺が引っ張って飲みに行っていたことが多かったと思う。焼酎に梅干し入れたり、きゅうり入れたり、この前、仕事で会った時は泡盛のコーヒー割り(笑)。いろんなお酒の飲み方はすべて長州力発ですよ(笑)。


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天龍源一郎
1950年生まれ、福井県出身。1963年に大相撲入り。1976年のプロレス転向後は「天龍同盟」での軍団抗争や団体対抗戦で日本・海外のトップレスラーと激闘を繰り広げ、マット界に革命を起こし続ける。2015年の引退後もテレビなど各メディアで活躍中。

長州力
1951年、山口県出身。1972年にミュンヘン五輪に出場するなど、アマチュアレスリングで実績を残した後、1974年に新日本プロレスで本名の吉田光雄でデビュー。その後、長州力に改名。革命戦士の異名でブレイクする。新日本、全日本のマットで活躍し1998年に引退するが、2000年に現役復帰を果たす。WJプロレス、新日本、レジェンド・ザ・プロレスリングなどのマットに上がり、2019年に現役を引退した。現在はタレントとして人気を博している。