【BUBKA5月号】話題の著者に直撃取材! 第18回 本郷和人『誤解だらけの明智光秀』

ブブカがゲキ推しする“読んでほしい本”、その著者にインタビューする当企画。第18回は、『誤解だらけの明智光秀』の著者、東京大学史料編纂所・本郷和人教授が登場。NHK大河ドラマで時代考証を務めた経験も持つ歴史のスペシャリストがひも解く明智光秀のリアル。学問とエンターテインメント、双方に理解のある氏が語る「フィクションとしての整合性」とは!?

写真=中島慶子

謎に包まれた武将

――江戸時代中期に書かれたとされる『明智軍記』に従うなら、美濃(現在の岐阜県)に生まれたという明智光秀ですが、光秀の名前が歴史の表舞台に登場するのは40歳を過ぎてからです。10代、20代の頃の光秀の記録を残すような資料はあるのでしょうか?

本郷 客観的に、「光秀がこういったことをしていた」といったことを示す良い資料はない。ただ、一般的に考えて明智という名字は珍しいんですね。当時、武士の家というのは地名に由来することが通例です。岐阜県には明智という地名が2箇所ある。さらに、光秀のルーツである〝土岐源氏(美濃源氏)の明智〞という記述が系図にも多少出てきます。さらには、明智城というお城もあった。総合的に考えて、明智光秀が美濃にいたという蓋然性は高いと言えるでしょうね。

――NHK大河ドラマ『麒麟がくる』では、現在、光秀の青年期が描かれています。資料のない空白期をどう作るのか気になっていたのですが、ひとまず美濃にはいただろう、と(笑)。では、主君が斎藤道三だったというのも本当なのでしょうか?

本郷 そうとも言い切れない(笑)。あの時代は、言うなれば〝カンパニー斎藤〞の「課長です」とか「係長です」といった明確な主従があるわけではない。守護である土岐氏を大企業とするなら、斎藤家は国衆(中小企業)の連合体です。そのため独立性が非常に強い。力関係で頭こそ下げているけども、ガッチリと主人と従者という関係ではありません。また、ドラマの中では帰蝶(後の織田信長の正室)が、光秀のいとことして描かれていますが、実際には分からない。道三の正室である小見の方について、江戸時代に編纂された『美濃国諸旧記』の中で、「明智光継の娘として生まれ、光秀は甥にあたる」といったことが書かれているため、帰蝶はいとこにあたるという説が浮上したわけです。

――なるほど。本書を読むと、ドラマや歴史小説の中の明智光秀とは違う、歴史学に基づいたリアルな光秀像と、その周辺の相関図が見えてくるから面白いです。

本郷 資料の中にも、良質なものとそうでないものがあるわけですね。それを識別するのが我々の仕事なのですが、先の『明智軍記』しかり、江戸時代ともなると創作の可能性も高くなる。例えば、信長の家臣・稲葉一鉄の子孫らが書き残した『稲葉家譜』(江戸時代)の中に、「光秀が信長から折檻を受けた際に、その拍子に付け髪が飛んだ。光秀はその仕打ちをひどく恨んでいた」という表記があります。また、信長が光秀を「金柑頭(=ハゲ)」とバカにしていた、という説もあります。そういったいびりに耐えかねて、本能寺の変を起こしたのでは、と唱える人もいる。後世の人が、「なぜ謀反を起こしたのか?」と想像したとき、〝上司からのパワハラに対する恨み〞は、誰もが腑に落ちやすい説だと思いませんか?(笑)


――インタビュ―の続きは絶賛発売中のBUBKA5月号にて!


ほんごう かずと
1960年東京都生まれ。東京大学史料編纂所教授。博士(文学)。東京大学文学部・同大学院で日本中世史を学ぶ。日本中世政治史、中世古文書学、中世寺院史などを専門とする。2016年、『現代語訳 吾妻鏡』(全17冊、吉川弘文館)で第70回毎日出版文化賞(企画部門)を五味文彦氏らと受賞。2012年のNHK大河ドラマ『平清盛』では時代考証を担当。テレビをはじめ各種メディアでも活躍中、また、アイドルに詳しい意外な一面も。最新作『危ない日本史』が発売中。