【BUBKA6月号】乃木坂46インタビュー傑作選 寺田蘭世「その瞬間、私が生まれた」

彼女たちは自分の言葉で、たくさんのことを僕たちに伝えてくれた。

エースとなった彼女が支え合い憧れた特別な仲間たちの存在。

田舎の少女が些細なきっかけでアイドルになった嘘のような本当の話。

誰よりも勝気なあの子の今へと繋がる原体験。

一皮剥けた今、思い描く野望と強い信念。

ナチュラルとサイボーグ、正反対だけど完璧な二人のアイドル像。

「天才」がこの場所で出会った「真の天才」。

宇宙人たちによる異次元すぎる感性。

メンバー全員から「いいやつ」と愛される3人の共通点。

「前世で一度会ったことがある」と確信する美しい関係性。

今まで『BUBKA』が行ってきた数え切れないほど多くのインタビュー。

その中から「これは面白い! 」と、自信を持ってオススメできる11本を皆さんにお届けします。

▼収録号/2019年4月号

日本が変わらないなら

――今日は寺田さんがどうしてこういう人間になったのか、その謎解きをしたいんです。

寺田 なんでなのか、自分でもよくわかんないです(笑)。生まれた時からずっとこうです。自分からはあまりしゃべらない子供でした。

――小さい頃、親からはどう躾けられていましたか?

寺田 どの家庭もそれぞれの常識があるから何とも言えないけど、自由にはさせてもらっていました。普通は親が着せたい服を買うじゃないですか? でも、小さい頃から洋服を自分で選んでいました。親も私がしたいことは叶えてくれましたし。親からは、「私はこう思うけどね」という一言は付け加えられるけど、他は自由なんです。自分で考えて、好きなことをやってねって。髪の毛をこうしたいというのもテーマを持っていました。メイクをしてみたいとも思っていました。そういうのは早かったですね。だから、幼稚園に入ったら、「あれ ? 同い年ってこんな感じなの?」と思ってしまったんです。

――小学校に上がるとどうでした?

寺田 小2までは誰とも口をききませんでした。私は幼稚園に通っていたんですけど、保育園から来た子は自分の名前を書けたりして、優れていたんです。授業中も積極的に手を挙げるし。私は何もできなかったので、保育園組の無邪気さにビビっていました。あまりにもしゃべらないから先生にも心配されていました。

――それは人見知りとは別次元のことですよね。他人に対する違和感の問題というか。

寺田 そうですね。でも、3年生に進級するくらいの頃、活発な男の子たちが、「なんでお前しゃべんないの?」「こいつ変だ!」って私に対してレッテルを貼ってきて。先生にいつも怒られてるような子たちだったんですけど、そのうちの一人と喧嘩になったんです(笑)。

――そんな出来事がありましたか。

寺田 その瞬間、何かスイッチが入ったんです。なんでかわからないけど、「なんか違う」と思って。その瞬間から、今の私になった気がします。そこから急にしゃべるようになって、人とのコミュニケーションの取り方が変わりました。

――その頃、勉強はできましたか?

寺田 授業にはちゃんと出ていたし、ノートも取っていました。通知表では全部Aではあったけど、自分では好きじゃなかったという感覚です。やる気がなくても、やる気があるように見える顔だから得してたんです(笑)。


――インタビュ―の続きは絶賛発売中のBUBKA6月号にて!


てらだ・らんぜ
1998年9月23日生まれ、東京都出身。1 + 1 を100 にする信念の下、自分だけの正解を求め、世間の常識と戦い続けるランゼリーナ・ジョリー。握手会ではファンの眼球を採点する謎占いの人気の勢いが止まらないとか。愛称は「らんぜ」。