【BUBKA6月号】吉田豪インタビュー 証言モーヲタ~彼らが熱く狂っていた時代~ vol.01 掟ポルシェ
プロインタビュアー吉田豪が、モーヲタたちに直撃するインタビュー連載が今月号よりスタート! 2000年代のモーヲタたちが熱く狂っていた時代について、当事者たちにじっくりと話を聞く濃厚企画だ。第1回に登場していただいたのは、当時、『BUBKA』誌上でもたびたびモーニング娘。について語っていた掟ポルシェ氏! なお、前号まで連載した「吉田豪のBUBKA流スーパースター列伝 レジェンド漫画家編」は、このモーヲタ編の後に再開する予定です。
写真提供/掟ポルシェ
みんな、おかしくなっていた
――モーニング娘。のヲタク=通称モーヲタたちの青春を描いた『あの頃。』が映画化されるということで、いろんなモーヲタたちの「あの頃。」を振り返ろうという企画です!
掟 あの当時、モーヲタはみんな狂ってましたから。モーニング娘。に関わってる人たちが、どんどんおかしくなっていったという。
――当然、掟さんもおかしくなって。
掟 おかしくなることを望んでたところがあるじゃないですか。我々の世代だとおニャン子クラブもそのあとのアイドル冬の時代も通って、90年代末ぐらいになるとアイドル歌謡曲でちゃんと売れてる人がいなくなって。そこで束ものアイドルに勢いが出てきたら乗っからなきゃしょうがないだろ、みたいな。ただ問題はその前にチェキッ娘っていう、楽曲が完璧なフジテレビの束ものアイドルで正当なおニャン子の後継者がまずいたじゃないですか。だから、俺は出たての頃のモーニング娘。にはまったく興味がなくて。
――当時のモーヲタってチェキッ娘にホント興味なかったですよね。それまでアイドルにハマッた歴史のない人たちが多かったから。
掟 そしたらチェキッ娘の活動がなくなったぐらいのタイミングで、モーニング娘。の最初のビデオクリップ集のレビューの仕事があって、そこでモーニング娘。おもしろいなっていうのと、それまでは『ASAYAN』のロックボーカリストオーディションから出てきてる人たちだったから、ちゃんと歌えてる人ばっかりだったじゃないですか、それがちょっと歌が不安定な人たち、4期メンバーが入ってきたことによって俺の好きなアイドル像になってきて、そこで初めて乗っかれたんですよ。
――最初に横のつながりができ始めたのは?
掟 まず、01年にモーヲタトークライブっていうのを有馬君が企画するんですよ。
――現在、獄中にいることで有名な人。
掟 そう。獄中にいることで有名な、「ハロヲタ」で検索すると第二検索ワードに「サムライ」と出てくるぐらい有名なヲタで。
――もともと『よい子の歌謡曲』の人で。
掟 アイドル歌謡曲批評ミニコミ誌だった『よい子の歌謡曲』界隈にいた人で、元々アイドル好きで。ロフトプラスワンで第1回を開くにあたって、彼がいろんな人に声かけたんですよね。当時、『BUBKA』で『モーヲタの部屋』と『VIVA VIVAモーニング娘。』っていう連載をやってた、ごっしーとビバ彦とか、モーニング娘。好きを公言してた宇多丸さん。「モーヲタでなおかつ語れそうな人」をラインナップしていって。で、俺は当時モーニング娘。よりメロン記念日のほうにアイドル性を感じてたけど、俺を呼ばなきゃしょうがないでしょ、ぐらいに思ってたんですよ。たぶんそこに出てる人はみんなそう思ってて。それぞれが推しメンの魅力についてとか、モーニング娘。の関係性のおもしろさについて語らせろ、みたいな人が集まってて。でも、なぜか司会だけブレーメン大島で。
――インタビュ―の続きは絶賛発売中のBUBKA6月号にて!
掟ポルシェ
1968年生まれ。ロマンポルシェ。などでの音楽活動の他、DJやコラム執筆などを行なう。
『BUBKA』においては、「男道コーチ屋稼業Z」を連載した他、「モーヲタの部屋」にもたびたび出演した。
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