【BUBKA11月号】エンターテインメントの行方 #02 ウルフルケイスケ

ソーシャルディスタンス、リモート、フルフレックス……コロナが日本社会に与えた変化は枚挙にいとまがない。では、エンタメの現場はどうだろうか? 当企画では、さまざまなエンタメの識者に〝ウィズコロナのエンタメ〞がどう変わりつつあるかを取材。今回は、アリーナクラスからライブバーまで、大小問わずさまざまな場所で音楽を奏でてきたウルフルケイスケ氏に、音楽業界の〝いま〞を聞いた。

ギター寅さん

――現在、ケイスケさんはバンド活動を休止して、ソロ活動に専念されています。〝マジカルチェイン〞と銘打ち、ギター一本を担いで日本各地の小さなライブハウスやライブバーを周っている――――。ウィズコロナの音楽業界の現状を聞くなら、ケイスケさんしかないと思ってオファーをさせていただいたんですよ。

ケイスケ ホンマにオレでええの!?まぁ、ギター片手に全国津々浦々を周って、北海道利尻島のカラオケスナックでも演奏させてもらってね。その縁から利尻町観光大使に任命していただき……たくさんミュージシャンはいるけど〝紅白から利尻まで〞は、オレだけやと思う(笑)。

――そもそもケイスケさんは、小さなライブバーを含めて、なぜ全国を周ろうと思ったんですか?

ケイスケ 2009年にウルフルズの活動休止を発表した後、なんかせなあかんなと。一人でしかできないことを考えたとき、外に向かっていろんな人たちとコラボやセッションをしたいと思ったの。それまで自分で曲を作ることはあっても、自分で歌うことは一切なかったから、ギターを担いで自分で歌って、いろんなところを巡ったらオモロそうだなって。それで、もともとそういうことをしていた音楽仲間のソロシンガー、ピアノマンとして活動していたリクオ君に相談したら、「一緒に周ろう」と。全国各地の30〜40人規模のライブバーとか周るようになって、ハマっていったんよね。

――14年にウルフルズは活動を再開します。その後も並行して一人で各地を周っているわけですが、それだけ発見があった?

ケイスケ うん。日本ってまだまだ知らない小さなコミュニティがあって、そこに根付いている音楽シーンがあることにビックリしたの。それがオモロくて素敵やったんよ。一度訪れると関係性ができてくるから、「また来てください」って言われることが嬉しかったし、「〇〇町にも面白い場所があるんですよ」なんて情報を教えてもらうと、その町で演奏してみたくなる。数珠繋ぎで全国を行脚するようになって、気が付くと利尻島や石垣島でギターを弾いてた。もうギターを持った寅さん(笑)。

――〝マジカルチェイン〞は、ケイスケさん自身がマネージメントしているわけですか?

ケイスケ 基本的には、オレが直接その箱のオーナーさんとメールなどでやり取りして、自分で交通機関のチケットも取って向かう感じ。そやから、コロナによって延期や中止の連絡も、直接俺のところに届く。コロナの影響が本格的に出てきた3月くらいから、「またか」って思うくらいそういった連絡が続々と届いたなぁ。


――インタビューの続きは絶賛発売中のBUBKA11月号にて!


ULFUL KEISUKE
1965年大阪府生まれ。ウルフルズのギタリストとして、1992年デビュー。「ミスタースマイル」の愛称でお馴染みの笑うギタリスト。多数アーティストのレコーディングやイベントにも参加。2018年2月、ソロ活動に専念するためウルフルズとしての活動を休止することを発表。不思議でステキな出会い=マジカル・チェインをテーマに日本全国津々浦々を弾き巡る。そのスタイルは弾き語りからバンドまで多岐にわたり、自由でシンプルなスタンスでご機嫌なロックンロールを展開中!