【BUBKA11月号】船木誠勝 スペシャル・インタビュー(後編)「前田VSアンドレの真相」
新日に戻っても“U”イズムを貫いた前田は、伝説のアンドレ戦など不穏試合を繰り広げ、新生UWFを立ち上げる。そこで追求した格闘技をあえて「21世紀のプロレス」として呈示することから、船木誠勝のパンクラスは始まった。格闘人生を振り返る2号連続インタビュー後編!
写真提供=平工幸雄
アンドレの異変
――船木さんがデビューした翌年、前田日明さんたちUWF勢が新日本に帰ってきましたけど、当時はかなりピリピリしていたんじゃないですか?
船木 新日本vsUWFの舞台裏は、本当にピリピリしてました。だから最初のシリーズはUWFの身内だけでリーグ戦をやったじゃないですか? あれは、いきなり新日本とUWFが当たると、何が起こるかわからないから、身内同士で試合をさせて様子見だったと思います。みんな控室のモニターで観てましたから。「どういう試合するんだろう」って。そして猪木さんはしきりに「あの構えが嫌なんだよ」って、UWF勢のキックボクシングみたいな構えを嫌ってましたね。「プロレスじゃない」って。
――ちゃんと手四つやロックアップで始まるのがプロレスだ、と。
船木 でも、前田さんたちは絶対にスタイルを崩さなかったんで、2シリーズ目くらいの時、上田馬之助さんが試合前の練習をしている前田さんのところに毎日のように行って、「プロレスはな、こうなんだよ」って諭してたんですよ。でも、前田さんの表情を見ると、納得してなかった気がしますね。やっぱり、「新日本と同じスタイルでやったら、自分たちは潰れてしまう」って思ってたんじゃないですか。
――妥協したら存在意義がなくなってしまう、ということですね。
船木 その意識が、たぶん前田さんが一番強かったんですよ。髙田(延彦)さんは越中(詩郎)さんとのジュニアの試合とかで、いい感じでクロスしてたじゃないですか。
――UWFスタイルを崩さずに、通常のプロレスに合わせるのがうまいんですよね。
船木 それで蹴りなんかも相手にケガさせることはなかったし、器用でしたよね。木戸(修)さんも新日本に合わせられるし、藤原(喜明)さんもできるし、山崎(一夫)さんもうまいです。でも、前田さんだけが頑なだった気がしますね。
――蹴りなんかも容赦なく顔面に叩き込んでましたもんね。
船木 外国人レスラー相手でもそれは変わらなかったんで、「前田はいつか潰されるぞ」みたいな噂も聞こえてきていたんですよ。
――外国人の実力者にいつか試合で制裁されるぞ、と。
船木 それで突然、アンドレ(・ザ・ジャイアント)とシングルマッチが組まれたじゃないですか(86年4月29日、津市体育館)。あの時、「ああ、絶対にそういうふうなことなんだろうな」と思いましたね。
――前田さんとアンドレの有名なセメントマッチ。船木さんは試合前から「これは制裁マッチなんだな」って、うすうす感づいていたんですか?
船木 なんか、そんな気がしたんですよ。そしたらたまたま試合前、控室のところで、レフェリーのミスター高橋さんと前田さんが言い合いしてたんですよ。前田さんが「どうすればいいんですか?」って聞いてるんですけど、高橋さんは「アンドレが何も言わないんだから、知らないよ!」って言って、その場からいなくなってしまって。ポツンと取り残された前田さんの後ろ姿をすごくよく憶えてますね。
――インタビューの続きは絶賛発売中のBUBKA11月号にて!
ふなき・まさかつ
1969年3月13日生まれ、青森県出身。1984年に新日本プロレスに入団。翌年の後藤達俊戦でデビュー。その後、UWF、藤原組を経て、パンクラスを旗揚げし、日本の総合格闘技の先駆者の一人として活躍した。2015年にWRESTLE-1を退団してからはフリーのレスラーとして活動を続けている「ハイブリッド・レスラー」。自身のYouTubeチャンネルではレスラー生活を振り返る動画を配信中。
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