【BUBKA11月号】なんてったってキヨハラ 第2回 天才ふたりのシャイな言い訳

 初恋のあの美少女を、数十年ぶりにSNSで見かけたらドカベン香川みたいなおばさんになっていた。


 あれっ? そんなはずはない。焦って実家の卒業アルバムをめくったら、俺も彼女も地方都市の垢抜けないガキだった。過去とは美化された嘘である。誰にでも似たような経験はあるだろう。時間の経過とともに記憶の中で過去はねつ造され、自分の都合のいい思い出にすり替わっちまう。いつの間にか、実際とは違う歴史が事実として語り継がれることだってある。そう、35年前のKKドラフトのように、だ。

 おニャン子クラブの『セーラー服を脱がさないで』とファミコンソフト『スーパーマリオブラザーズ』に俺含む日本のキッズたちが夢中になっていた1985年(昭和60年)11月20日、プロ野球ドラフト会議が行われた。注目はもちろん夏の甲子園を制覇したPL学園の〝KKコンビ〞、清原和博と桑田真澄だ。子どもの頃から死にたいくらいに憧れた巨人入りを熱望する清原、すでに早稲田大学進学を表明していた桑田。当時の巨人・王貞治監督が持つ868号の世界記録を破るのは、甲子園歴代最多の13本塁打を放ったキヨマーしかいない。マスコミやファンはそう盛り上がった。果たして「巨人・清原」は誕生するのか? だが、蓋を開けてみたら憧れのチームは、なんと進学表明の桑田を単独1位指名する。6球団が1位入札した清原は、最終的に西武が交渉権を獲得。翼の折れたエンジェル。巨人と親友に裏切られた18歳のキヨマーは、会見場で悔し涙を滲ませた。

 この流れは当時社会的事件として扱われたので、野球ファン以外にも知ってる人は多いと思う。雑誌『現代』85年12月号のグラビアを飾るのは、昔は白雪姫いまビニ本調の天地真理(34)にっかつロマンポルノ「魔性の香り」で大胆ファックシーン!……じゃなくて、のちに昭和最後の総理大臣となる竹下登、幹事長の椅子を狙う安倍晋太郎外務大臣(安倍晋三の父親)、そして「絶頂期の王貞治の風格がある」と紹介される清原和博だ。代名詞は史上最高の契約金と予想される「一億円の少年」。ちなみにこの年の12月に『仮面舞踏会』でレコードデビューしたのが、少年隊である。

 さて、それぞれのシャイな言い訳も聞こう。13年発売の『西武と巨人のドラフト10年戦争』(宝島社)の中では、当時の西武球団代表を務めた坂井保之氏の証言が掲載されている。獅子の寝業師・根本陸夫管理部長がドラフト直前に「西武は1位桑田でいく」と記者にブラフを流して、1位は清原、2位もしくはドラフト外で桑田というKKコンビ両獲りを狙う巨人サイドを揺さぶる。あんたらドラフト外なんかで獲れると思うなよ的な西武の牽制は効いた。結果、巨人は間違いなく複数球団の抽選になる清原ではなく、早大進学説のため競合せず、甲子園通算20勝で限りなく即戦力に近い桑田を確実に獲りにいくわけだ。まあどちらにせよ、大人たちの駆け引きの中で裏切られ傷ついた純粋なキヨマーという印象は変わらない。


――インタビューの続きは絶賛発売中のBUBKA11月号にて!


なかみぞ・やすたか(プロ野球死亡遊戯)
1979年埼玉県生まれ。大阪芸術大学映像学科卒。ライター兼デザイナー。2010年10月より開設したブログ『プロ野球死亡遊戯』は現役選手の間でも話題に。『文春野球コラムペナントレース2017』では巨人担当として初代日本一に輝いた。主な著書に『プロ野球死亡遊戯』(文春文庫)、『ボス、俺を使ってくれないか?』(白泉社)、『原辰徳に憧れて-ビッグベイビーズのタツノリ30年愛-』(白夜書房)、『令和の巨人軍』(新潮新書)などがある。