【BUBKA12月号】なんてったってキヨハラ 第3回「 あこがれて、ふられて、悔しくて泣いた」

 友達と受験の合格発表を見に行くのは最も危険な遊戯だ。

 

 だって自分だけ落ちたら惨めだし、受かっても気まずいし、喜べないし。だから俺は洗体エステにも必ずひとりで行くようにしている。セラピストの逆指名もしない。あんまり期待しちゃうとダメだったときのショックがデカすぎるから。あの日のキヨマーのように、だ。

 小泉今日子のシングルレコード『なんてったってアイドル』発売前日、1985年11月20日、3時間目の授業中だったPL学園高校の教室にドラフト会議の第一報が入る。「桑田、巨人が1位や!」と誰かが叫びながら廊下を走ってきたのだ。一巡目で6球団が競合した清原和博は抽選で西武が交渉権獲得、その清原が憧れた巨人の1位は、なんとプロ野球関係者と接触するために必要な退部届も出さず早大進学を明言していた盟友・桑田真澄だという。なんでや……あいつははっきりと早稲田へ行くと言うてたやんか……頭が真っ白になり、校長室に移動して映像を確認してから記者会見へ。そこで涙を浮かべた18歳の少年は大量のカメラのフラッシュを浴びながら、「今はあまりなんも言えません……」と消え入りそうな声で絞り出す。対照的に桑田は会見でも冷静だった。

「まさか、(自分の名前が)あがるなんて思っていなかったですから。もうびっくりしたのひと言です。清原君がすごくジャイアンツに行きたいということを言っていたので、もしジャイアンツへ入れたらがんばれよっていつも声をかけていたんです。それで蓋を開けてみれば僕が1位でなんかすごく清原君に悪いような気がするんですが、まあジャイアンツが……自分では実力はないと思ってるんですけど、1位にあげてくれたということは非常に嬉しく思っています」

 あれ? 野球バカになりたくないと真面目に授業を受け続け、1カ月前の国体終了時に「100%進学です。僕を指名しないでください」と宣言したわりには意外と嬉しそうな……。となると、当然世間は巨人と桑田の密約説を疑う。夢破れたキヨマーの涙も効いた。野球部の寮ではバット片手に桑田を探しまわり、PL学園野球部の中村順司監督も「2人の友情を裂くような巨人の行為に憤りを感じます」なんて怒りを露わに。この様子はメディアのトップニュースで報道され、完全に社会的事件扱いだ。直後に発売されたファミコンソフトが『ポートピア連続殺人事件』ってそこじゃなくて、人気アニメ『タッチ』の上杉達也の投球フォームモデルとなり、甲子園の清く正しく美しいアイドル投手だった17歳は、一夜にして球界最大の悪役となったのである。


――インタビューの続きは絶賛発売中のBUBKA12月号にて!


なかみぞ・やすたか(プロ野球死亡遊戯)
1979年埼玉県生まれ。大阪芸術大学映像学科卒。ライター兼デザイナー。2010年10月より開設したブログ『プロ野球死亡遊戯』は現役選手の間でも話題に。『文春野球コラムペナントレース2017』では巨人担当として初代日本一に輝いた。主な著書に『プロ野球死亡遊戯』(文春文庫)、『ボス、俺を使ってくれないか?』(白泉社)、『原辰徳に憧れて-ビッグベイビーズのタツノリ30年愛-』(白夜書房)、『令和の巨人軍』(新潮新書)などがある。