【BUBKA1月号】前田日明の逆鱗に触れた男 長井満也が語る「UWFとリングス」

新生UWFに入門後、新弟子として地獄のような日々を経験したプロレスラー・長井満也。度重なる理不尽を若さと夢だけで耐え続けた男にとって、時代の寵児たる前田日明や鈴木みのるはどんな存在だったのか。UWFとリングス、プロレスと総合格闘技の大きな時代の流れの中に期せずして身を投じた男の、壮絶な過去とともに振り返る。

写真提供=平工幸雄

新弟子はぞうきん

――長井さんは来年でデビュー30周年なんですよね。

長井 じつはそうなんですよ。正直、こんなに長くやれるなんて、思ってませんでしたね。

――新生UWFの練習生時代に首の大怪我をして、本来デビューできたのも奇跡的なことだったんですよね。

長井 そうなんです。レスリングの練習をやってる時の事故で、第五頸椎脱臼骨折ですね。5番目の頸椎が後ろに飛び出しちゃって、5番目と6番目の間の椎間板が潰れて折れたという。僕自身、もうリングには戻れないんじゃないかと思いましたから。

――首はいちばんヤバいですもんね。

長井 骨が飛び出して神経に当たってるから手術もできないんですよ。だから頭蓋骨に二箇所穴を空けて、そこに針をひっかけてボルトをつけて、その先に滑車で重りをつけて、寝た状態のまま24時間首を牽引するっていうのをやってました。不幸中の幸いで大きな神経を傷つけなかったから、半身不随とかにはならずに済んだんですけど、それでも少し痺れは残りましたね。

――その状況から練習に復帰して、デビューできたっていうのはすごいと思いますよ。しかも、リハビリしている最中にUWFが解散してしまったんですよね?

長井 そうなんです。だから「3派に分かれた」って聞いても、なんのことだか意味がわからなかったですね。たしか、最初に電話がかかってきたのは、Uインターのフロントに入った鈴木健(のちの取締役)さんだったんですけど、船木(誠勝)さん、鈴木(みのる)さん、冨宅(飛駈)くんが藤原(喜明)さんのところに行って、残ったメンバーで新たにUWFをやる、と。そして前田(日明)さんはひとりになったから、引退するだろうって話だったんです。

――まさか前田さんがひとりでリングスを旗揚げするとは、その時点では思われてなかったんですね。

長井 話を聞いても現実味がなくて。僕なんて、「これからどうする?」って言われてもわからなかった。それこそ「UWFなくなっちゃたら、僕の治療費はどうなっちゃうんだろう」みたいな心配が先立って。

――かなり治療費もかかったでしょうからね。

長井 結局、元のUWFの会社が「治療費は最後まで面倒見ます」って言ってくれたので助かりましたけどね。

――それで長井さんはデビュー前にリングスに移籍するわけですよね。

長井 なぜか厳しい方、厳しい方に行ってしまうんですよね。道場で前田さんと二人っきりというのも、なかなかの地獄ですから(笑)。ただ、UWF時代は癖のある大先輩が何人も揃ってたから、リングスでは練習はキツくてもいじめられることがなかったんで、そういう部分では楽でした。

――道場でいじめたりするのは、トップの人じゃなくて、ちょっと上の先輩だったりしますもんね。

長井 そうなんですよ。「こいつがデビューしたら、自分にとって邪魔だな」と思う人をいじめるでしょうからね。


ーーインタビューの続きは絶賛発売中のBUBKA1月号にて!


ながい・みつや
1968年11月10日生まれ、北海道出身。1989年、新生UWFに入門するもデビュー前に団体が分裂。その後リングスに入門し、1991年8月1日にヘルマン・レンティング戦でデビューする。1998年、リングス退団後は、フリーとしてK-1や全日本キックボクシング連盟などに出場。2000年に入ると、全日本ではアジアタッグ王座の獲得、新日本では魔界倶楽部のマスクマンとしても活躍する。現在はドラディションに所属し、ノアなど他団体でも戦いを繰り広げている。