【BUBKA1月号】なんてったってキヨハラ 第4回 1986年のキヨマー

 高校3年の冬、学生服姿のまま秋葉原へエロビデオを買いに行ったことがある。

 深夜番組『トゥナイト2』で山本晋也カントクが紹介していた、菅原ちえ監督作品『初めてのディープキス』がどうしても欲しくなったのだ。学校も受験勉強もサボり、お年玉の残りを握りしめ西武線のライオンズカラーの電車に飛び乗った。ほとんどビョーキである。まだバスケットコートがあった秋葉原駅近くに密集する小さなエロビデオ屋に入り、せめてものカモフラージュとして代々木ゼミナールの国語の問題集をリュックから出して小脇に抱えてみた。普段は受験勉強に燃える幼気な高校生がうっかり迷い込んでしまったんですよ感を出す演出だ。大人になった今思い返すと何かが決定的に間違っている気もするが、いつの時代も少年たちは青春でしくじり、人生を学ぶのである。無事ブツを手に入れ、池袋から発着する帰りのレッドアローに揺られながら、思ったわけだ。俺、昔のキヨマーとはえらい違いだなと。

 1985年12月13日、西武入団発表から一夜明け西武球場に足を運んだ18歳の清原和博はあの有名な伝説を残す。マスコミ撮影用に学生服姿で右バッターボックスに入り、ティー打撃を披露すると、軽く振ったスイングで左中間スタンドにホームランを打ち込んだのだ。しかも足もとは革靴のままである。ひとりの新人選手の球場施設見学にテレビ局7社を含む約80人の報道陣が同行し、西武鉄道本社から清水信人取締役がわざわざ駆けつける超VIP待遇。清原は注目の新人選手であると同時に、巨大な西武グループの広告塔を託されようとしていた。つまり、普通の18歳がいかにオカンにバレずにエロ本を自室に隠すか悩む時期に、この男はバブル前夜の欲望渦巻く大人社会に放り込まれたわけだ。

 岸和田の自宅で迎えた86年(昭和61年)正月は、年賀状が前年の150枚から一気に1500枚へ急増。翌2日は奈良県にある母の実家近くの大神神社に初詣。仕立ておろしの和服を着たキヨマーは女性ファンに気さくにサイン……とアイドル雑誌『週刊明星』で行動が詳細にリポートされ、次ページでは大相撲の新大関・北尾が年末の紅白歌合戦の審査員を務め、「吉川晃司のギターのぶちかましには、たまげたぜ!」なんてのちのレスラー転向後のマイクのしょっぱさを予感させるズンドココメントを残している。ちなみに北尾の隣に座っていたのは前年日本一の阪神・吉田義男監督だった。


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なかみぞ・やすたか(プロ野球死亡遊戯)
1979年埼玉県生まれ。大阪芸術大学映像学科卒。ライター兼デザイナー。2010年10月より開設したブログ『プロ野球死亡遊戯』は現役選手の間でも話題に。『文春野球コラムペナントレース2017』では巨人担当として初代日本一に輝いた。主な著書に『プロ野球死亡遊戯』(文春文庫)、『ボス、俺を使ってくれないか?』(白泉社)、『原辰徳に憧れて-ビッグベイビーズのタツノリ30年愛-』(白夜書房)、『令和の巨人軍』(新潮新書)などがある。