【BUBKA2月号】 吉田豪インタビュー証言モーヲタ~彼らが熱く狂っていた時代~ vol.08 嶺脇育夫

プロインタビュアー吉田豪が、モーヲタたちが熱く狂っていた時代について、モーヲタ自身に直撃する濃厚インタビュー連載。今回のゲストはタワーレコード株式会社の代表取締役社長、嶺脇育夫さんです。アイドルヲタとしても知られ、BUBKAとの縁も深い嶺脇社長は、いかにしてモーニング娘。とハロープロジェクトにハマったのでしょうか?そして、BUBKA周辺のヲタたちの活動をどのように見ていたのでしょうか?

疲れていたときにハマった

――嶺脇社長も、そろそろこのモーヲタ連載に呼ばれるかなっていう覚悟はしてました?

嶺脇 いや、私はちょっとポジションが違うんで、このラインだと呼ばれないだろうなと思ってたんだけど。ここはある意味『BUBKA』界隈というか、こっちは『BUBKA』の誌面とイベントをいちユーザーとして見ていただけなので、ちょっと違うなって。だから読んでておもしろいですよ、そういう裏話があったんだっていう感じで読めるんで。

――これでも相当ソフトになってますから。

嶺脇 この久保内さんのインタビューは相当削られてる感じがしますよね。もっとひどい話をいっぱいしてるんだろうなっていう。

――久保内さんの意向じゃなくて編集部の判断でいろいろ削らせてもらったみたいですね。『BUBKA』が生まれ変わった結果、出せなくなった話がけっこうあるんですよ。

嶺脇 でしょうね。裏側はわからないけど僕らが聞いてる話だけでも相当たいへんな話はあったので。当時、Twitterなかったですもんね。演者のみなさんを見てるとSNSがなかった時代の自由さ感がありましたから。

――そんなわけで今回は外側から見た話が聞ければ。社長がモーニング娘。にハマッたきっかけは、よく言われてますけど弱ってるときにテレビで偶然モーニング娘。を観て。

嶺脇 それもあったんですけど、当時タワレコ新宿店にモーヲタがいたんですよ。J‐POPの責任者がモーヲタで、市井ちゃんの卒コンも行ってたし。「嶺脇さん、いいっすよ!」みたいなことはずーっと言われ続けてて。

――でも当時は興味なく。

嶺脇 まったく! ちょっとバカにしてたぐらいで(笑)。ただ『LOVEマシーン』が出たときは、こんなにキャッチーでおもしろい曲だったら売れるなと思いましたけどね。

――当時『BUBKA』はまだ読んでない。

嶺脇 まだ読んでないですね。ハローに興味を持ってから『BUBKA』を読み始めて、宇多丸さんの『マブ論』を最初から読みたいなと思ってバックナンバーを古本屋で買い揃えて。ただモー娘。は最初、ウチに話が来たんですよね、『愛の種』を5日間で5万枚、手売りしたじゃないですか。あれ基本的に全部HMVなんですよ。僕が当時、販促の部長から聞いた話によると、テレ東さんが話を持ってきたんだけど、97年にウチはSaya Little Prayerやってて、あれが10日間で1万枚売るっていうことで渋谷の8階でやったんだよね。それが2日で1万枚売れてしまって河村隆一のプロデュースでデビューしたんですけど、あれと同じ番組で手売りしてメジャーデビューが決まる、みたいな。だから「Saya Little Prayerと同じだからやらなくていいんじゃない?」っていう感じで断ったら、そっちのほうがぜんぜん規模がデカい話になったっていう。それは聞きましたね。


ーーインタビューの続きは絶賛発売中のBUBKA2月号にて!


嶺脇育夫
タワーレコード株式会社の代表取締役社長。心斎橋店の店長、新宿店の店長などを経て、2011年3月に代表取締役社長に就任。同年6月にはアイドル専門レーベルT-Palette Recordsを立ち上げている。