【BUBKA4月号】伊賀大介(スタイリスト)×中溝康隆(プロ野球死亡遊戯) 「桑田真澄という、底知れぬ男の存在意義。」

それを待ち望んでいたはずのジャイアンツファンですら耳を疑った、桑田真澄コーチ誕生。人事が固まった後の年明けの就任、投手チーフコーチ補佐という聞きなれない役職、この2つが意味することは原辰徳監督が桑田という人材をどうしても欲しかったということだ。子供の頃から背番号18を見てきた二人が、あらためて彼の魅力を語り、令和の時代における背番号73の存在意義を考える。

異端な男

―― 本誌恒例のお二人の座談会ですが、今回はこんなご時世なので、初のリモート座談会になります。

伊賀 いま、YouTubeで宮沢りえの『赤い花』って曲を娘と聴いていました。ホブルディーズのカバーですが、名曲なんすよ。

中溝 宮沢りえから今回のテーマに繋げていきますか(笑)。

伊賀 ふははは(笑)。

―― 察しの良い読者の方はもう気づいたかもしれませんが、今回のテーマはジャイアンツのコーチに電撃就任した桑田真澄です。

伊賀 中溝さんは『BUBKA』で「キヨハラ連載」をやってるから、同時に桑田のことも相当調べあげているんじゃないですか?

中溝 そうですね。あらためて調べてみると、桑田の若手時代の話がことごとくヤバいんですよ。本当に変わり者みたいな感じでメディアに報じられている。マウンドでの独り言を週刊誌に読心術されて「お母さん」と呟いてたみたいな。で、桑田もちょっとそれを気にして、いじけちゃってるみたいな。

伊賀 太陽のような清原(和博)との対比。

中溝 二人のヒールとベビーフェイスの対比がわかりやすいし、面白い。当時のプロ野球界って、原辰徳・江川(卓)から、桑田・清原の時代にパッって変わったんですけど、まさに俺らがプロ野球を見始めた頃ですよね。

―― 桑田って世代によって持ってるイメージがかなり違う人だと思うんですよ。僕らの世代はどっちかっていうと、大怪我から復帰して、マウンドに手あてて、晩年はメジャーにも挑戦した、求道者みたいなイメージが強くて。今の若者たちの世代になってくるとMattのお父さんとしてしか知らない人がほとんどだと思いますし。だからルーキーの頃から桑田を見ている二人が、どんなイメージを持っているかすごい気になります。

中溝 個人的には早すぎた中田英寿みたいなイメージです。

伊賀 あー、なるほど! 上手い!

中溝 とにかく生意気な奴っていうイメージだったんですよ、子どもの頃に見た桑田像は。トレーニングにしても、新しいものを取り入れてウエイトしたり、栄養学を学んだりとか。若干スカし気味の若者。あと、桑田って江川とかとはまたちょっと違うヒールだったんで。野球バカで終わりたくないってところは似ているけど、野球をとことんまで追求してるっていうイメージもあるし、逆にアニータ(・カステロ)とのスキャンダルもあり(笑)。異端でしたね。巨人の中では浮いてるんだろうなって、子供ながらに思っていました。


ーーインタビューの続きは絶賛発売中のBUBKA4月号にて!


いが・だいすけ
1977年、東京都生まれ。22歳でスタイリストとしての活動を開始。映画『ジョゼと虎と魚たち』『モテキ』『バクマン。』『ハード・コア』『おおかみこどもの雨と雪』『宮本から君へ』などの作品を始め、演劇、広告、ミュージシャンなど幅広く活動中。また、音楽や映画、印刷物にも造詣が深いことでも知られる。WEB連載『文春野球コラム ペナントレース2020』の巨人担当としてコラムの執筆も行っていた。


なかみぞ・やすたか(プロ野球死亡遊戯)

1979年、埼玉県生まれ。大阪芸術大学映像学科卒。ライター兼デザイナー。2010年10月より開設したブログ『プロ野球死亡遊戯』は現役選手の間でも話題に。『文春野球コラムペナントレース2017』では巨人担当として初代日本一に輝いた。ベストコラム集『プロ野球死亡遊戯』(文春文庫)、初の娯楽小説『ボス、俺を使ってくれないか?』(白泉社)、『原辰徳に憧れて-ビッグベイビーズのタツノリ30年愛-』(白夜書房)など著書多数。『令和の巨人軍』(新潮新書)が好評発売中!