【BUBKA4月号】ダンプ松本インタビュー 「日本中から嫌われた悪役の覚悟」

クラッシュギャルズとの抗争で日本中に女子プロレス旋風を巻き起こし、全女の最盛期を支えた極悪女王・ダンプ松本。私生活でもヒールに徹することで、世間から憎まれながらも、いまなお語り継がれる髪切りデスマッチなどの伝説を生みだした。己の全てをかけて悪役道を突き進んだ女の壮絶な覚悟と激闘の日々を振り返る。

写真提供=平工幸雄


クレーン・ユウ追放劇

――ダンプさんは先日、『ザ・ヒール』(小学館)という本を出されましたけど、80年代半ばは、まさに〝国民的ヒール〞でしたよね。

ダンプ 日本中に嫌われてました(笑)。

――今でこそ、「ヒール」という言葉は一般の人も使うようになってますけど。当時は「悪の役」をやってるというより、本当に悪人扱いされていて(笑)。

ダンプ 映画やドラマでも悪役、悪い人の役をやると、俳優さん本人が悪人みたいに思われたりしますけど。プロレスのヒールは、私生活でも悪人で通さなきゃいけなかったからね。

――今でこそ、ダンプさんと長与千種さんが一緒にトークショーやったりしてますけど、当時はクラッシュ・ギャルズのファンから、本当に殺したいくらいに思われてたわけですもんね。

ダンプ そう。「この世で人を殺しても許されるなら、ダンプを殺したい」って。今ババアになった、当時からのファンはみんな言ってますよ。

――だから、ヒールになるのも相当な覚悟が必要だった時代ですよね。

ダンプ そうだね。ずっと(デビル雅美率いる)デビル軍団の下っ端だったんだけど、同期のクラッシュの人気に火がついて、自分も極悪同盟を作るとき、これが最後のチャンスだと思って覚悟を決めましたね。「今までで一番悪いヒールになりたい」「カミソリが入った手紙が送られてくるくらい嫌われてやる」と思ったんだけど、本当に大量に来るようになったからね。

――ファンレターを装って、手が切れるように。

ダンプ あとはゴキブリが入ってたりとかね。

――手紙といえば、ヒールになる時、お母さんに「松本香(本名)の遺書」と称した手紙を書いたんですよね?

ダンプ うん。「自分はこれから、みんなに憎まれる人間になるから、お母さんにも嫌がらせがいくようになるかもしれないから、ごめんね」って。親もまさか、あそこまで日本中で嫌われるとは思ってなかっただろうけど(笑)。

――でも、当時は実際に家族にも嫌がらせが及んでたんですよね。〝凶悪犯罪者の家族〞みたいな感じで。

ダンプ 家にも帰れなかったからね。妹なんて身元を隠してたし。昔からの友達の縁なんかも全部切ったから。例えば、実家に帰ったら普通に戻ったり、友達に対してやさしくしちゃうと、「ダンプはリングを降りたら優しいんだ」「実家に帰ったら優しいんだ」っていう噂がすぐ広まるからね。それが嫌だったんで、自分は極悪の赤バス(移動用バス)の中で、ブル(中野)ちゃんたち仲間といるときだけしか地を出さないようにしてた。それ以外は、常に極悪でいましたね。


ーーインタビューの続きは絶賛発売中のBUBKA4月号にて!


だんぷまつもと
1960年11月11日生まれ、埼玉県出身。80年に全日本女子プロレスにおいて、新国純子戦でデビュー。84年にはヒール軍団・極悪同盟を結成すると、長与千種、ライオネス飛鳥のクラッシュギャルズとの抗争で全国的に女子プロブームを巻き起こし、爆発的な人気を博す。WWFへも参戦したが、88年に現役を引退。その後は芸能活動を経て03年に現役復帰し、自主興行「極悪祭」を開催しながら、タレントとして現在も活躍を続けている。