【BUBKA5月号】新間寿インタビュー 「闘魂の右腕が語る激闘の歴史」
〝過激な仕掛け人〞という名前が付けられるほど、名マッチの数々を実現させてきた新間寿。その中でも最も記憶に残っているのはアリVS猪木戦の実現であろう。世界への挑戦の切符を掴み取り、アントニオ猪木の右腕として新日本の黄金期を作り上げてきた歴史を振り返るとともに、病室で闘う闘魂へ熱きエールを送る!
写真提供=平工幸雄
猪木死亡説の裏側
――3月3日のストロングスタイルプロレス後楽園ホール大会で、新間さんは入院中のアントニオ猪木さんにエールを送っていましたけど、発端となったのは、その2日前に流れた〝猪木死亡説〞だったんですよね?
新間 そう! あれは誰が流したの? なんか、ターザン山本が流したとか、ちょっと聞いたんだけど。
――いや、ターザン山本さんは、後楽園での新間さんの挨拶を聞いたあと、ツイッターで「じつは私もその噂を聞いた」って書いたんですよ。結局、単なる噂だったわけですけど、山本さんは「真偽は定かではない」と書いちゃったもんだから、逆に一般の人たちに〝死亡説〞が広まってしまったという。
新間 それで責められちゃったんだ。
――そうですね。噂の発端ではないけど、結果的に拡散することになってしまったという。新間さんは、どなたからその噂を耳にしたんですか?
新間 後楽園の2日前、警視庁関係の人から俺のところに電話が入ってね、「そういう話を聞いてるか」って言われてびっくりしたんだよ。
――その日、僕のところにもその噂の真偽をたしかめる電話が何件かあったんですけど、プロレス業界関係者じゃなく、警視庁関係だと驚きますね。
新間 それで慌ててスポーツ新聞記者に電話をかけて、「いま、こんな話を聞いたんだけど」って話したら、その人もびっくりして、「新間さん、すぐ確かめるから、ちょっと待ってて」と言われてね。
――新聞社の人なら、裏を取るのも早いでしょうからね。
新間 そうしたら猪木さんと近い関係者と電話がつながり、「いやいや、猪木会長は元気ですよ。闘病中です」って言われたらしい。それでコールバックをもらったとき、ホッとすると同時に、私は「闘病中」という言葉にピンと来てね。「そうか、猪木さんは入院してベッドで横になっているのではなく、病と闘っているのか。やはりアントニオ猪木は、闘う男なんだな」と。
――今、闘っている真っ最中なんだと。
新間 そして、闘うアントニオ猪木を長年支えてきたのが新間寿ですよ!
――よく存じ上げております。
新間 それで3日の後楽園の時、私は通路の奥で出番を待っていた。平井(丈雅=リアルジャパンプロレス代表)がやたら張り切っちゃって、あいつの挨拶が長かったんだけどね(笑)。それを待っている間、猪木さんとの色々な思い出が頭の中をよぎってね。まず脳裏に浮かんだのが、アントニオ猪木vsストロング小林戦(74年3月19日、蔵前国技館)。猪木さんとストロング小林の試合は、私が手がけてきた中で最高の試合だと思っているから。
――インタビューの続きは絶賛発売中のBUBKA5月号にて!
しんま・ひさし
1935年3月22日生まれ、東京都出身。1972年に新日本プロレス入社。専務取締役営業本部長の肩書きでアントニオ猪木の右腕として数々の名勝負を仕掛ける。アントニオ猪木を世界に知らしめた異種格闘技戦の発起人であり、1976年には不可能と言われていた「モハメド・アリvs猪木」戦を実現させ、新日本プロレスに与えた功績は計り知れない。2019年には日本人として通算5人目のWWE殿堂入り(レガシー部門)を果たした。
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