【BUBKA 1月号】吉田豪のBUBKA流スーパースター列伝 レジェンド漫画家編 vol.5 『あしたのジョー』を生み出した漫画界一の人格者 ちばてつや


力石が死んだ後は苦しくってね
毎回吐くことを想像しながら描いて
それで十二指腸いっちゃった


作家・梶原一騎と不朽の名作『あしたのジョー』を生み出した漫画界のレジェンド、ちばてつや。

力石を死なせてしまった「ジョー」と共に苦しみながら、漫画を描き上げた時の尋常じゃないエピソードや、盟友・松本零士、弟・ちばあきおとの話など……。

漫画界一の人格者の素顔にプロインタビュアー・吉田豪が迫ります!


薄暗いバーで梶原一騎と


―漫画家さんの中でも、ちば先生ぐらい悪く言われない人はいないと思うんですよ。

ちば ……え、そう?

―人格者っていう評判ですよね。

ちば それはたぶん私が気が弱いところが大きいんじゃないかと。いろんな意味で流されやすいだけじゃないかっていうかね。だから、人格者ではないと思いますよ。そこを今日のインタビューで暴いてください(笑)。

―ろくでもない部分を暴きます(笑)。まず、気が弱いと言いながら、そうでもない部分がけっこうあるタイプじゃないですか。

ちば どこか頑固なところもあるんですよ。断れないで流されてしまうんだけど、ここだけは譲れないとか、どんなに押されても押し返したりすることはあります。だから全部気が弱いわけではないと思う。誰でもみーんな同じじゃないですか。人間って得意不得意があって特に僕は人前でスピーチしたり、何か自分の意見を言ったりっていうのは苦手で、昔は赤面症っていうのかな ? 初めての人と会ったりすると真っ赤になって、それくらい気が弱いなと思って。

―だって気が弱い人が『あしたのジョー』で梶原一騎先生の原稿をそのとおりに描かないとか、なかなかできないと思うんですよ。

ちば あれはね、仕事の話なんで……。だけど私は梶原さんがとてもいいものを持ってると思ったし、描く前に打ち合わせを何度かしてるんで、この人はこういうことが言いたいんだなっていうのをある程度自分でつかんでたことと、自分が梶原さんと組む前にこういう話をやりたいっていうことを8割方決めてたんです。そのときは自分でやるつもりでいたから、梶原さんから最初にもらった原作だとちょっと自分は入りにくかったし、子供にわかりやすい導入部を描いたほうがいいと思ったんで。

―梶原先生っぽい導入だったんですね。

ちば 非常に大人っぽい入りだったんですよ。いまは禁煙かもしれないけどタバコの煙がもうもうとしてる試合場で、昔はちょっとヤクザっぽい人がリングの周りにいっぱいいたし、労働者みたいな、どこで何してるんだかよくわからないような怪しげな人がタバコ吸いながらすごい野次飛ばしたり、そういう雰囲気で入ってきたんで、『少年マガジン』でこれはちょっとなと思って。そんなことで最初はちょっと変えちゃって、あいだに入った担当者が非常に困ったみたいですけどね。

―そこを変えたのは絶対に正解だったとは思うんですけど、もちろんその当時から梶原先生は怖い感じの人だったわけですよね?

ちば いや、そんなことない。初めて会ったのは草野球で野球場なんですけど、ベレー帽かぶって、ただヒョロッと背の高い人だと思ってべつに怖い印象はなかったんですよ。でも、編集の人に謀られたっていうか、『ジョー』の前に「会うだけでも」って会わされたときは池袋の薄暗い地下のバーだったんですけど、薄暗い部屋なのにサングラスして、ちょっと印象が変わってて怖かったですね。


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ちばてつや
1939年1月11日生まれ。東京都出身。17歳の時に貸本で漫画家デビュー。61年、『ちかいの魔球』を『少年マガジン』で連載スタート。65年に発表した『ハリスの旋風』 はテレビアニメ化された。68年、梶原一騎と『あしたのジョー』が連載スタートし社会現象となる。その後も『のたり松太郎』など名作を発表。現在も文星芸術大学のマンガ専攻で教授を務めたり、イベントに出演したりマンガのために活動中。