【BUBKA 11月号】 吉田豪のBUBKA流スーパースター列伝 レジェンド漫画家編 vol.15 「黄昏マンガ道」 弘兼憲史 インタビュー
今回のゲストは、大河サラリーマン漫画『島耕作』シリーズなどで知られる弘兼憲史。大企業である松下電器産業(現・パナソニック)に入社したにも関わらず、安定した道を捨てて漫画の世界に飛び込んだ異色の漫画家人生に吉田豪が迫る!
漫画家はあきらめて漫画の技術が
活かせる仕事についた
―― 弘兼先生は、この年齢でこの仕事量でこのクオリティなのがすごいと思うんですよ。
弘兼 僕のは漫画というより読みものみたいな感じですからね。『島耕作』は情報半分のエンターテインメント半分ぐらいですから。僕は手塚治虫さんの影響が大きかったんで、ヒューマニズムとかそういうのを描いてたんですけど、特に得意分野がどうとかじゃなくてなんでも描けるタイプだったんですよ。スポーツ漫画は描いたことがないですけど、スポーツ漫画は……やっぱり好きじゃないのかな(笑)。
―― だけど、『会長 島耕作』のミャンマー編でラウェイ(注1 )が出てきたのは驚きましたよ。
弘兼 ミャンマーを取材した時に知人でラウェイをやってる人がいたんで道場に行ったんです。あれはスポーツエクササイズというか、女の人が体をスリムにするためのもので格闘家を鍛えるような感じじゃなかったなあ。
―― え、ラウェイもそっちなんですか!?
弘兼 そうですね。本気でやってる人もいるんですけど、そこにチャンピオンもいて。
―― 日本ではグローブなしで殴り合うシャレにならない競技として伝わってますけど。
弘兼 ああ、殺し合いみたいなスポーツですね。ところが夕方になると会社が終わったOLの人たちが5〜6人で来て、みんなかわいい若い子なんですよ。で、サンドバッグを蹴ったりとか型やったりして、エクササイズなんですよね。
―― 弘兼先生はプロの漫画家になる気もなくて大企業に就職したりとか、珍しいタイプの漫画家だと思うんですよ。
弘兼 子供のときはプロになりたかったんですよ。だけど、中学ぐらいになると現実がわかってきて。なれる職業じゃないってわかるんですよ、とても難しいことだっていうのが。医者とか弁護士だったら試験さえ受かればなんとかなるじゃないですか。
―― 世の中的には医者とか弁護士のほうがなるのは難しいイメージがあるんですけどね。
弘兼 でも、そっちのほうが簡単ですよね。要するに頑張って勉強すればいいわけで。漫画って勉強してもダメはダメですからね。
―― それよりも才能とかが必要な世界で。
弘兼 そうです。だから絵がいくらうまくてもダメだし、それでいったんあきらめました。ジャーナリスト志望だったんで、高校の先生に相談すると「それなら早稲田がいいんじゃないか」って言われました。早稲田に入ったら漫画研究会があって、なんとなく入部しました。だけど僕は、漫研の活動はそんなに熱心にやってなかったんですよ。
―― 続きは絶賛発売中のBUBKA 11月号にて!
弘兼憲史●1947年9月9日生まれ。山口県出身。早稲田大学卒業後に松下電器産業(現・パナソニック)に入社。3年間勤務した後、漫画の道に進む。1974年に『風薫る』で漫画家デビュー。以降、『人間交差点』『課長 島耕作』『加治隆介の議』『黄昏流星群』などヒット作を多数発表している。特に『島耕作』シリーズは主人公・島耕作が会長まで上り詰める様や学生時代などの若き日々も描く、大河漫画となっている。2007年に紫綬褒章を受賞。
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