【BUBKA 1月号】吉田豪のBUBKA流スーパースター列伝 レジェンド漫画家編 vol.17 「東大一直線」小林よしのり インタビュー
今回のゲストは、『おぼっちゃまくん』などのギャグ漫画、『ゴ―マニズム宣言』などの時事漫画で知られる小林よしのり。本誌としては、AKB48関連のインタビュ―でご登場いただいたこともあったが、今回はその漫画家人生について吉田豪がじっくりと聞いた!
漫画の描き方を知らずにデビュ―して連載開始
――以前はよしりん先生のAKBヲタ部分を中心にインタビュ―したので、今回は漫画家として話を聞かせていただきます。しかし、よしりん先生ぐらい『週刊少年ジャンプ』出身の匂いがない人も珍しいと思うんですよ。
小林 あ、そう? へぇ―っ、そうなんだ。まあ、『コロコロコミック』でも描いたし、いまは言論みたいなことをやってるしね。
――それこそ、いまの『ジャンプ』の連載陣とはあきらかに違うわけじゃないですか。
小林 まったく違いますよね。当時は、『ジャンプ』の色がぜんぜん違うもん。バラッバラの個性だったし、似たような絵柄のヤツなんていなかったもんね。きれいなスマ―トな、女の子が好むようなものはなかった。
――まず繊細なタッチがなかったですよね。
小林 ないないないない! 少年漫画だったから。それがよかったんだよね―、繊細なタッチがないところがよかった。いまは、ああいうおもしろさはなくなってきちゃったね。
――荒削りさが。だって、よしりん先生がデビュ―できることがすごいと思いますよ。
小林 ハハハハハハ!
――あの段階で才能は見抜けないですよ。
小林 そうだね(笑)。だからよっぽど編集者がすごかったんじゃない? お祭りみたいなのあるじゃん、コミケ? ああいう雰囲気とはぜんぜん違うものばっかり載ってたし、それを載せてみようと思うのはすごいですよね。『東大一直線』は佳作とか入選もしてないのに載せてたんだから。また1から新しいヤツを出さなきゃいけないんだろうなと思ってたら、最終候補のヤツを雑誌に載せちゃうんだから、わしは「へ?」と思ったもんね。
――当時でも異常だったんですね(笑)。
小林 そうそうそう。だからいきなり大学生のときにあんなヘタクソな絵で『ジャンプ』に載っちゃったから、大学の同級生がヒソヒソ、「あれは小林よしのりなんじゃないか」みたいな感じで噂してたからね。それで5~6本描いた時点で最初から連載って言ってくるっていう、それもまたすごいじゃない。
――しかも最初に載った作品の流れで。
小林 そうそうそう、最初に投稿した『ああ勉強一直線』の続編的な感じで描いてたら、編集者が福岡にやって来て「連載で」って言われて、「えぇ―っ!?」「そもそも描き方がわからないんですけど」「とにかくいっぺん東京に出て誰かのアシスタントになってからのほうがいいんじゃないですか?」って。
――すごい常識的じゃないですか(笑)。
小林 そう(笑)。わしが「1年間、絵の勉強してからのほうがいいんじゃないですか?」って言うのに、「いや、もう大丈夫。すぐ始める。福岡で描け」って言われて、原稿を送って連載することになっちゃったわけ。
――インタビューの続きは絶賛発売中のBUBKA 1月号にて!
こばやし・よしのり
1953年8月31日生まれ。福岡県出身。福岡大学在学中の1975年に『ああ 勉強一直線』を投稿。翌年、『週刊少年ジャンプ』にて『東大一直線』でデビュ―。1986年、『月刊コロコロコミック』で『おぼっちゃまくん』の連載を開始して大ヒットを飛ばし、主人公の御坊茶魔が話す茶魔語も流行語となる。1992年から『SPA!』で連載した社会問題を論じる『ゴ―マニズム宣言』も大ヒット作となる。以降、言論活動も盛んに行なっている。
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