【BUBKA 1月号】天龍源一郎がレジェンドレスラーについて語る ミスタープロレス交龍録 第三回 「ザ・グレート・カブキ」

天龍源一郎は、その40 年間の“腹いっぱいのプロレス人生”で様々な名レスラ―と出会い、闘い、交流した。ジャイアント馬場とアントニオ猪木の2 人にピンフォ―ルでの勝利を収めた唯一の日本人レスラ―であり、ミスタ―プロレスとまで称された天龍。そんな天龍だからこそ語れるレジェンドレスラ―たちとの濃厚エピソ―ドを大公開しよう!

写真/平工幸雄

誰もが知るカブキさんの怖さと巧さ

馬場さんが俺の指導のお目付け役に

 俺が「プロレスって面白いな!」って思ったきっかけはテレビで観たジャンボ鶴田vs高千穂(明久)だったんだけど、今にして思うと、試合が巧い2人がやっているんだから面白いと思って当然ですよ。グレ―ト小鹿と大熊元司のアジア・タッグを観なくてよかったよ(笑)。

 カブキさん……高千穂さんは相撲出身ではないけど、二所ノ関部屋だった芳の里さん(元日本プロレス社長)が一番可愛がっていたからなのか、プロレスに入る前から名前を聞いていて、最初から親しみを持っていましたね。最初にプロレスの手解きを受けたのもカブキさんだったし、ずっとつながりがありますね。

 カブキさんは「プロレスはそんなに甘くないんだよ」って感じではなく、基本的なことを「こういうもんだよ」っていう感じで教えてくれましたよ。首投げの受け身とか、ボディスラムで投げられた時に体全体でフラットに落ちてダメ―ジを分散させるとか、プロレスのホントの入口を教わったっていうところかな。

 全日本プロレスに入団して巡業に合流した時には「源ちゃん、行くよ」って、毎日カブキさんが俺の部屋に電話をくれて2人で早目に会場に行くんだけど、何日かしたら気が重くなってね(苦笑)。俺から「何時に行くんですか?」って聞いたことは一度もなかったね(苦笑)。

 で、練習していて5時ぐらいになると会場入りした他の選手たちがリングサイドに集まってきて「それじゃ駄目だ」とか八方から声がかかって先生が一気に5~6人に増えちゃうわけ(苦笑)。そこで「うるさいんだよ、お前ら! 最初から出来るわけがないんだからガタガタ言うな!」ってビシッと雑音をシャットアウトしてくれたのがカブキさん。みんなカブキさんの怖さ、試合の巧さを知っているから、誰も口を挟めなかったよ。馬場さんもそれをわかっていて「天龍の子守りは高千穂に任せておけばいい」って、カブキさんを俺の指導のお目付け役にしてくれたんだろうね。


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天龍源一郎
1950年生まれ、福井県出身。1963年に大相撲入り。1976年のプロレス転向後は「天龍同盟」での軍団抗争や団体対抗戦で日本・海外のトップレスラーと激闘を繰り広げ、マット界に革命を起こし続ける。2015年の引退後もテレビなど各メディアで活躍中。


ザ・グレート・カブキ
1948年、宮崎県出身。中学卒業後の1964年に日本プロレスに入団(デビュ―時のリングネ―ムは高千穂明久)。日プロが活動停止すると1973年に全日本プロレスに。1980年に主戦場をアメリカに移して、1981年に顔にペイントをほどこしたザ・グレ―ト・カブキとしてアメリカでブレイクして大人気を獲得。日本でも全日本、SWS、WAR、新日本などで活躍した。1998年に引退を表明。2002年に現役復帰して様々な団体で活躍したが、2017年にノアのリングで引退試合を行なった。現在は都内にて居酒屋「BIG DADDY酒場 かぶき うぃず ふぁみりぃ」を営んでいる。