【BUBKA 2月号】天龍源一郎がレジェンドレスラーについて語る! ミスタープロレス交龍録 第四回 「ザ・ファンクス」
天龍源一郎は、その40 年間の“腹いっぱいのプロレス人生”で様々な名レスラーと出会い、闘い、交流した。ジャイアント馬場とアントニオ猪木の2 人にピンフォールでの勝利を収めた唯一の日本人レスラーであり、ミスタープロレスとまで称された天龍。そんな天龍だからこそ語れるレジェンドレスラーたちとの濃厚エピソードを大公開しよう!
兄ドリー・ファンク・ジュニアと弟テリー・ファンクのタッグチーム。ドリー・ファンク・ジュニアは1941年生まれ、テリー・ファンクは1944年生まれ、ともにアメリカのインディアナ州出身。プロレスラーのドリー・ファンク・シニアのもとに生まれて、幼い頃からレスリングの英才教育を受ける。兄弟でタッグチームを組んで、全日本プロレスやNWA、WWFなどで活躍して、日本でも高い人気を獲得した。2009年にはザ・ファンクスとして2人そろってのWWE殿堂入りを果たしている。
ジャンボの比じゃないドリーの我の強さ
何をやろうとしても引き込まれてしまう
日本での先生がカブキさんなら、アメリカでの先生はドリー・ファンク・ジュニアだね。1976年10月15日に全日本プロレスに入団して、イロハのイをカブキさんに学び、11月7日にはテキサス州アマリロのドリーのもとにいましたよ。
当然、英語が理解できない俺がいたんだけど、ドリーはロックアップして、ヘッドロックして、投げるという基本的な動きの時に必ず「ハイ、ハイ、ハイ」って声を出してメトロノームのようにリズムを俺に教えてくれた。だから全然抵抗なくプロレスというものが体に染み込んでいったね。プロレスにスーッと入れて「上手くなりたい」っていう希望みたいなものを持たせてくれたのはカブキさんが取っ掛かりで、ドリーが練り上げていってくれたってところかな。
ドリーのところにはジェリー・コザックっていう番頭格のレスラーがいたんだけど、あの人の教え方は硬かった(苦笑)。体がちっちゃいから「レスラーが舐められちゃいけない」って感じでギュッギュッと関節を極めながら「こうやってプロレスはやるんだよ」って教えてくれて、俺にしてみればドリーとのギャップを感じたけど「こういう風にもやっていかなきゃいけないんだな」って思いましたね。実際に教えてくれたのはドリーが4割、ジェリー・コザックが6割かな。
77年6月に日本でデビューするまでアマリロでプロレス漬けの日々を送っていたと思われるかもしれないけど、実際はそうでもないんですよ。最初の1~2ヵ月はドリーとジェリー・コザックが一生懸命教えてくれたけど、そのあとはほったらかしだったね(苦笑)。だから「教えてくれないと、日本に帰った時に困るから」ってドリーに電話していたけど、ドリーはプロモーター兼トップレスラーだから忙しかったんですよ。試合が終わってアマリロの自宅に帰ってくるのが午前2時とか3時。朝から選手のブッキングとか帳簿をつけたりして、ランチを食べたら会場までドライブして試合するっていう毎日だったはずだから、俺が朝9時頃に電話するんだけど「ノー、ノー。テイク・イット・イージー」とかって屁をかまされましたよ(苦笑)。
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天龍源一郎
1950年生まれ、福井県出身。1963年に大相撲入り。1976年のプロレス転向後は「天龍同盟」での軍団抗争や団体対抗戦で日本・海外のトップレスラーと激闘を繰り広げ、マット界に革命を起こし続ける。2015年の引退後もテレビなど各メディアで活躍中。
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