【BUBKA 3月号】ジャイアント馬場の王道プロレスがマット界に残したものとは? 柳澤 健(ノンフィクション作家) インタビュー

力道山・アントニオ猪木といったスターが築き上げてきた昭和のプロレス。そんな中、ジャイアント馬場はいかなる存在だったのだろうか?巨大なレスラーが日本のマット界に残したことを探るために、作家・柳澤健に話を聞いてきた。

現在の新日本プロレスのスター・棚橋弘至にまで継承されるスタイルがそこにある――。

写真提供=平工幸雄

アメリカ直輸入

――柳澤さんの『1964年のジャイアント馬場』が、この1月に文庫化されたんですよね。

柳澤 そうなんです。おかげさまで。

――没後20年に発売を合わせたんだと思いますけど、年末年始に渋谷東急本店で「ジャイアント馬場展」が催されたり、CSの日テレG+で馬場さんの名勝負集が連日流されたり、期せずして馬場さんが再評価されてきていますよね。

柳澤 私の本もちょっとは貢献してるんじゃないかと思います(笑)。

―― 柳澤さんの本はそのタイトルが示す通り、60年代の馬場がいかにすごいレスラー、すごい世界的なアスリートだったかを中心に書いたものですもんね。

柳澤 やはり、それまでの馬場評というのは、”猪木史観”の中で語られることが多かったと思うんですよ。ジャイアント馬場の全盛期である60年代のプロレスを観ていたのは、私より年上の60代以上がほとんどでしょう。だから多くの人は、馬場のすごさを知っているようで知らない。

――僕はいま45歳ですけど、タイガーマスク人気でプロレスブームだった小学生時代、すでに馬場さんは「スローモーション」とか「早くやめろ」とか言われてましたからね。

柳澤 そうでしょうね。力道山は戦後復興の象徴みたいなかたちで、テレビで取り上げられることも多いけど、高度経済成長時代の象徴であるはずの馬場さんの実績は、あまり取り上げられなかったもんね。だから、いまの50代以下の人間が知らないことをいいことに、アントニオ猪木は、馬場さんの全盛期がいかにすごかったかということを故意に消しにかかっていた部分もあると思います。

――みんな70年代以降の馬場と猪木しか知らないことをいいことに、「昔から、馬場より俺のほうがすごかったんだ」という感じに(笑)。

柳澤 70年代の猪木さんはあまりにも素晴らしかったから、その言葉に説得力が生まれてしまった。みんなは猪木さんの価値観を通して馬場さんを見ている。 こう言うとまた物議を醸すかもしれないけど、UWFファンが前田日明の価値観に基づいて佐山への評価を下していることとパラレルな関係にあるんじゃないでしょうか。


――インタビューの続きは絶賛発売中のBUBKA 3月号にて!


やなぎさわ・たけし 
1960年東京都生まれのノンフィクション作家。慶應義塾大学法学部を卒業後、文藝春秋に入社。雑誌『Number』などを担当。2003年にフリーライターに転身、2007年に『1976年のアントニオ猪木』を発表した。昨年出版した『1984年のUWF』で話題となる。