【BUBKA 3月号】天龍源一郎がレジェンドレスラーについて語る ミスタープロレス交龍録 第五回「ミル・マスカラス」
天龍源一郎は、その40 年間の“腹いっぱいのプロレス人生”で様々な名レスラーと出会い、闘い、交流した。ジャイアント馬場とアントニオ猪木の2人にピンフォールでの勝利を収めた唯一の日本人レスラーであり、ミスタープロレスとまで称された天龍。そんな天龍だからこそ語れるレジェンドレスラーたちとの濃厚エピソードを大公開しよう!
写真/平工幸雄
マスクをしたままシャワールームへ
後年になるまで素顔を知らなかった
ミル・マスカラスはプロレスに転向しようかなと思っている時にテレビで観て強く印象に残った選手だね。いい逆三角形の身体をしているんだけど、マスクを被っているし、戦うために身構えるわけでもなく、自然体で相手と向き合って普通に散歩するようにリングの中をスタスタ歩いているのが相撲取りの俺からしたら凄く不思議だったんだよね。それで若い力士に「ミル・マスカラスっていうトップレスラーなんです」って教えてもらって「へーっ!」って。リングの中で泰然自若としているレスラーもいるんだなというのがインプットされましたよ。
初めてマスカラスに会ったのは、1976年9月に相撲からプロレスに転向して11月にテキサス州アマリロに修行に行った時。フランクだけど、プライドを持って「俺はマスカラスだよ!」っていうのを、それとなく醸し出していたような気がするね。トップレスラーの雰囲気は持っていましたよ。その時は感じなかったけど、振り返ってみると、マスカラスは俺に対して「これが新しく入った相撲レスラーか」という一応の尊敬の念を持ちながら「この業界では俺がトップのマスカラスだ。君もここまで来られるように頑張れよ」という接し方だったね。
アマリロにいた時にマスカラスがジャンプオーバー(※トップロープを飛び越えてリングイン)するのを見て、自分でもやったら出来たんだよ。で、アマリロからちょっと離れた会場でジャンプオーバーしたら、足がロープに引っかかってひっくり返って、お客が笑ったから「もう1回!」ってアピールしてもう1回トライしたら拍手が起こったんだよね。それを見ていたプロモーターのドリー・ファンク・ジュニアに「天龍、これからあれを取り入れろ」って言われたことがあったよ(苦笑)。
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天龍源一郎
1950年生まれ、福井県出身。1963年に大相撲入り。1976年のプロレス転向後は「天龍同盟」での軍団抗争や団体対抗戦で日本・海外のトップレスラーと激闘を繰り広げ、マット界に革命を起こし続ける。2015年の引退後もテレビなど各メディアで活躍中。
ミル・マスカラス
1942年、メキシコ出身。スペイン語で「千の仮面(マスク)」を意味する「ミル・マスカラス」というリングネームの覆面レスラーとして1965年にデビューし、母国メキシコで大人気を獲得する。アメリカと日本にも進出し、華麗な空中殺法で観客を魅了した。弟ドス・カラスとのタッグチームでも活躍。メキシコでは主演映画が多数製作されるなど、まさに国民的英雄である。また、全日本プロレス参戦時に入場曲として使用された『スカイ・ハイ』が大ヒットし、プロレスラーのテーマ曲が注目されるきっかけも生んだ。
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