【BUBKA 4月号】乃木坂46 寺田 蘭世 グラビア&インタビュー「勝手にしやがれ」

寺田蘭世はいつだって思考している。自身のこと、グループのこと、社会のこと、未来のこと。

何度も、何度も考え抜いた先に生まれる彼女なりの"哲学″。

そうして発せられる独特な表現は、いつだって僕らを圧倒させるに違いない――。

寺田蘭世の"誕生″

――先月号の表紙では、蘭世さんのセリフ「1+1=2なんて誰が決めたんだ」を使わせていただきました!

寺田 なのに表紙じゃないんですね。

――相変わらず鋭いですね(笑)。

寺田 でも、なんで表紙に使うことになったんですか?

――それだけアンダーライブの歴史でも印象的な言葉でしたし、読者アンケートでも上位でしたから。そこで今月は、どうして蘭世さんがそういう名言を吐けるような人になったのか、その謎解きをしたいんです。

寺田 なんでなのか、自分でもよくわかんないです(笑)。生まれた時からずっとこうです。自分からはあまりしゃべらない子供でした。幼稚園はあんまり行ってなかったです。

――小さい頃、親からはどう躾けられていましたか?

寺田 どの家庭もそれぞれの常識があるから何とも言えないけど、自由にはさせてもらっていました。普通は親が着せたい服を買うじゃないですか? でも、小さい頃から洋服を自分で選んでいました。親も私がしたいことは叶えてくれましたし。親からは、「私はこう思うけどね」という一言は付け加えられるけど、他は自由なんです。自分で考えて、好きなことをやってねって。髪の毛をこうしたいというのもテーマを持っていました。メイクをしてみたいとも思っていました。そういうのは早かったですね。だから、幼稚園に入ったら、「あれ? 同い年ってこんな感じなの?」と思ってしまったんです。

――小学校に上がるとどうでした?

寺田 小2までは誰とも口をききませんでした。別の保育園から来た子は自分の名前を書けたりして、優れていたんです。授業中も積極的に手を挙げるし。私は何もできなかったので、保育園組の無邪気さにビビっていました。あまりにもしゃべらないから先生にも心配されていました。


――グラビア&インタビューの続きは絶賛発売中のBUBKA 4月号にて!


てらだ・らんぜ
1998年9月23日生まれ、東京都出身。1+1を100にする信念の下、自分だけの正解を求め、世間の常識と戦い続けるランゼリーナ・ジョリー。最近握手会ではファンの眼球を採点する謎の占いの人気の勢いが止まらないとか。愛称は「らんぜ」。