【BUBKA 5月号】タイガー戸口が語る「昭和プロレス暗黒秘史」

御年71 歳、プロレス歴51 年。現役レスラーとして活躍するタイガー戸口は昭和のマット界を見続けてきた歴史の証人である。

日本プロレス、単身で乗り込んでいったアメリカ、全日本、新日本、WWF、さらにはドナルド・トランプまで。

これまで明かされなかった日米マット界の真実。一匹狼の口が開く──。

写真提供=平工幸雄

二所ノ関部屋の因果応報

――戸口さん、今回は『BUBKA』というアイドルのグラビア中心の雑誌インタビューなんですよ。

戸口 なんで俺がそこに出るんだよ!(笑)。

――戸口さんも、ある意味で”韓流アイドル”じゃないですか(笑)。

戸口 バカ言ってんじゃないよ!(笑)。

――カラーグラビアはアイドルなんですけど、モノクロページでは毎回プロレス記事を扱っていて、前回登場したのがスタン・ハンセンなんです。

戸口 (前号の誌面を見ながら)ハンセンもだいぶ年取ったな~。あいつ何歳?

――たしか69歳ですね。

戸口 俺より二つ下か。

――戸口さん、71歳ですか! 元気ですね~(笑)。

戸口 2月に71になったばかりだけどね。

――キャリアも50 年以上なんですよね?

戸口 51年だね。もう辞めたいんだけど、辞めさせてもらえないんだよ。2月に『プロレスリング・マスターズ』っていう武藤(敬司)の興行に出たんだけど、試合が終わったらあいつが来て、「戸口さん、次は8月お願いします」だってさ。俺、8月まで生きてるか、わからねーぞ!(笑)。

――でも71歳、キャリア51年で、いまだにいろんなところからオファーがあって、自伝まで出しちゃうんだから、すごいですよ。

戸口 あの本、売れてるみたいなんだよ。プロデュースしてくれた人が、「戸口さん、重版もあるよ」って言ってきたからね。

――また、タイトルがヤバいですよね。『虎の回顧録 昭和プロレス暗黒秘史』という(笑)。

戸口 でも、昭和プロレスの人間で生きてるの、もう俺くらいしかいないだろ。俺とみっちゃん(百田光雄)と(グレート)小鹿さんくらいか。

――全日、新日以前の日本プロレスを知っている人で、いまもリングに上がっているのは、それくらいですね。

戸口 そうだろ。猪木さん、坂口(征二)さんは生きてはいるけどな。

――では、そんなプロレス界の生き字引である戸口さんに、いろいろ聞いていこうと思いますけど。もともと戸口さんのお父さんが、大相撲で力道山の兄弟子だったんですよね?

戸口 そうそう、二所ノ関部屋のね。親父も力道山先生も、初代玉錦親方の弟子だから。それで仲良かったんだよ。なんでかと言うと、二人とも昔で言うところの”朝鮮人”で、二人しかいなかったから。

――まさに兄弟分だったわけですね。そういう関係もあって、戸口さんも力道山のいるプロレスに入ろうと思ったんですか?

戸口 俺はプロレス好きだったからさ、中学の時に親父に相談したら、力道山先生に頼んでくれたんだよ。

――力道山に直接頼めるっていうのがすごいですね(笑)。

戸口 でも「俺は友達の子供は預かれないよ」って断わられたんだ。それが力道山先生が亡くなったあと、芳の里さんが社長になったろ。芳の里さんも二所ノ関部屋で、親父のずっと後輩だから、「うちのセガレをあずかれ」と言ったら、「はい、わかりました」となって、入ったんだよ。


――インタビューの続きは絶賛発売中のBUBKA 5月号にて!


タイガー戸口
1948年生まれ、在日韓国人二世。1967年に日本プロレスに入門し、団体崩壊直前の1972年にアメリカ修行へ。大型ヒール「キム・ドク」として会場を沸かす。76年に一時帰国し、全日本プロレスに参戦、大木金太郎との師弟コンビで活躍。その後は新日本プロレス、WWFにも参戦。役者としてアーノルド・シュワルツェネッガー主演映画「レッドブル」などにも出演したことも。