【BUBKA 5月号】吉田豪のBUBKA流スーパースター列伝 レジェンド漫画家編 vol.21 平田弘史「時代劇画創造主」

迫力のある骨太な時代劇漫画で高く評価され、『AKIRA』をはじめとする様々な作品に力強い毛筆の題字を提供していることでも知られる平田弘史。

吉田豪が、静岡県にある広々とした平田邸を訪問し、「描くことは地獄」とまで語る、命がけの創作人生についてじっくりと聞いた!

貧乏になったから漫画のアルバイトを始めた

【平田弘史先生は現在82歳。「耳は遠いけれど受け答えはハッキリしている。何かあれば芳子夫人がサポートしてくれる」とのことで、静岡県伊東市のご自宅に伺いました!】

平田 (『BUBKA』を見て)老眼!

――すいません、字が小さくて(笑)。

平田 細かい字が読めないから。ページを開くのも、いまは手が言うこと利かないから。

――最近、『プレイボーイ』の題字を書いてインタビューも受けていたから、取材できるんだなってことで今回はオファーしました。

平田 大きい字は書ける、これくらいの大きな紙に。小さい字は書けない。だからもう2年ぐらい絵が描けない。パーキンソン病らしいです。耳は30センチ以上離れたら聞こえない。何を言ってるかさっぱりわからない。

――了解です!

平田 もう2年ほど前からこんな状態になっちゃった。……で、なんていう本だって?

――『BUBKA』です。アイドルとかの雑誌なんですけど白黒ページでベテラン漫画家のインタビューをやらせていただいてます。

妻 『BUBKA』というアイドルの雑誌だけど漫画家さんにも出てもらってますって。

平田 俺にはよくわからん!

――ダハハハハ! 大丈夫です、なんの問題もないです! 今日は深いテーマも何もなくて、ただお会いしたくて来ただけなので。

平田 もっと元気なときに会いたかったね。

――お会いできただけでもうれしいです。

平田 何を言ってるかわからない。

――(大声で)お会いできただけでうれしいです! 世代的には『ヤンマガ』の『平田弘史のお父さん物語』から読んでるんですよ。

平田 ああ、あの頃は53歳ぐらいで。よく描けてるよ、まだ手がシャカシャカ動いて。

――この漫画が始まったとき、『ヤンマガ』で不思議な漫画が始まったって驚きました。

平田 不思議な漫画? それはそうだね。

――先生はどんな思いで描いてたんですか?

平田 …………。

妻 このときどう思ったんですか? って。

平田 いま返事しようと思ってたのに!

 ごめんね、聞こえてないのかと思った。

平田 昔みたいにピリピリパリパリ頭が回らない。1テンポも2テンポも遅れてからしか頭のなかで何を語ればいいかわからない。東京から伊豆に移って建築やってたの、大工さんと一緒に。このテーブルも作ったの。大工は親子でふたりだけでやってたから仕事が進まなくて工事が遅れて。だから私も工具袋を下げて大工さんと一緒にトントンやってたの。そうこうするうちに貧乏になっちゃって。


――インタビューの続きは絶賛発売中のBUBKA 5月号にて!


ひらた ひろし
1937年2月9日生まれ、東京都出身。1958年に『愛憎必殺剣』でデビュー。以降、数多くの時代劇漫画を手がける。機械やコンピュータに関する造詣も深く、フルデジタルで作品を描いたこともある。2013年に日本漫画家協会文部科学大臣賞を受賞。また、毛筆で書いた文字で『AKIRA』をはじめとした数多くの作品に題字を提供。昨年12月からNHKで放送されているTV番組『東京リボーン』の題字も担当した。