【BUBKA 6月号】吉田豪インタビュー BUBKA流スーパースター列伝 レジェンド漫画家編 vol.22 「ゴルゴ13」さいとう・たかを
50年にわたって連載が続く『ゴルゴ13』を筆頭に様々な作品を世に送り出して、“劇画”というジャンルを作り上げた、さいとう・たかを。
いち早く分業制度を導入するなど、漫画界において独自の道を歩んだ、その劇画家人生に吉田豪が迫る!
82歳にして現役で連載を続ける秘密は?
――じつは20年近く前に『男気万字固め』という本で取材したことがありま
して。
さいとう それは失礼しました。この頃はもの覚えが悪くてホントよく忘れるん
ですわ。
――覚えてなくて当然なので問題ないです! でも、いま82歳でこの仕事量、この人気を保ち続けてる人っていないと思うんですよ。
さいとう そうですね、ページものの締切りものを描いてるのは、私らの年齢では私ひとりですね。ホントにありがたいことです。
―― なぜそれができたんだと思いますか?
さいとう やっぱり組織でやってるからでしょうね。たとえば『ゴルゴ13』なんかは脚本家の存在を最初から考えなかったらここまで続かないですよ。ひとりでやったら自分の好きな世界に入ってしまうし。だから苦手な話でもなんとかやってきましたから。
――そんな唯一の作家というすごさが、世間にちゃんと伝わってない気がするんですよ。みなもと太郎先生はよく言ってますけど、「もっとちゃんと評価すべきなのに」って。
さいとう ハハハハ! 何を評価するんだ。
―― ご自分ではそこにモヤモヤしたりは?
さいとう いえ、ぜんぜんありませんね。いまはスタッフも若いのがいますし、とにかくやれるだけやらんとっていう感じですよ。
――漫画という芸術的なものみたいに思われる世界で、分業制というシステムを作ったのも含めて、職人として作品をつくっているみたいな話をよくされてるじゃないですか。
さいとう 私は最初から仕事としてこの世界に入ってきたんですよ。だから漫画が好きで好きでっていう入り方とはちょっと違いますね、あくまで、これは絶対仕事になるっていうことで入ってきましたから、言うなれば異色タレントですよね。最初なんか邪道だみたいなことを言われて、困りましたけどね。
――困りながらも、これだけ続けてきて。
さいとう 絶対この仕事はこうあるべきだという気持ちがありましたからね。もちろん、どんな世界にも天才はいますよ。そもそも私がこの仕事に入ったのは、手塚治虫先生の『新寶島』を見たときに、紙で映画みたいなものをこしらえられると思ったんですよ。映画はものすごく金かかるでしょ? こっちは簡単に出演者も100人揃えられる、これは絶対に伸びる、仕事になるはずだと思って。
――さいとう先生の職人的なスタイルが批判されたときは、どんな気分だったんですか?
さいとう 自分ではとにかく仕事という気持ちでやってましたからね。だから私のこの仕事に対する考えは最初から間違ってないと思ってました。迷ったことは一度もないです。
――インタビュ―の続きは絶賛発売中のBUBKA 6月号にて!
さいとう たかを
1936年11月3日、和歌山県生まれ。1955年に『空気男爵』でデビュー。大阪で貸本漫画の中心的な存在として活動した後に、活動拠点を東京に移し、さいとう・プロダクションを設立。2003年に紫綬褒章、2004年に『ゴルゴ13』で第50回小学館漫画賞審査委員特別賞受賞、2010年に旭日小綬章受章。他の作品に『鬼平犯科帳』『仕掛人藤枝梅安』『影狩り』『無用ノ介』『サバイバル』『雲盗り暫平』などがある。公益社団法人日本漫画家協会参与。
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