【BUBKA 7月号】吉田豪のBUBKA流スーパースター列伝 レジェンド漫画家編 vol.23 「包丁人味平」牛次郎
グルメ漫画のパイオニア『包丁人味平』、プラモデルのロボットのプロレスを描いた『プラレス3 四郎』、お色気コメディ『やる気まんまん』など、様々なヒット漫画の原作を担当した牛次郎。
現在は自身の寺・願行寺で住職を務める牛次郎を吉田豪が直撃取材。意外な人物の名前も飛び出す、濃厚インタビューが実現した!
様々な職業を経てから
成り行きで漫画原作者に
――今日は静岡県伊東市の願行寺に来ているわけですけど、牛次郎先生ぐらい原作者以前&以降の人生が不思議な人もいないと思うんですよ。いまは僧侶になってるわけですね?
牛 いろんなことを意図的に希望してやるっていうことがないんだよね。バンドでウッドベースもやってたし、アレンジャーにもなって、それから『夕刊フジ』って新聞社に入ってパチンコの欄を担当してたの。あと、講談社で『週刊現代』のアンカーやったり集英社で『プレイボーイ』の記者やったりなんかしてたんだけど、講談社のすぐ近くの喫茶店で会議が終わるのを待ってたら『少年マガジン』の副編集長とお会いして、そこでパチンコの話をしたんだよね。僕はじつはそれを『釘師』ってタイトルで小説にしたかったの。
――もともとパチンコのメーカーにもいて。
牛 そう、メーカーにいて、その世界のことはほとんど知ってたからね。それを小説として書き溜めておいたものを読ませてくれって言うんで見せたら、いたく気に入っちゃって「これをそのままやりたい」と。それが『釘師サブやん』で漫画になって。だから原作者になろうとしたわけでもなんでもないのよ。
――80年代から小説家としても活動したのも、もともとそっちだっただけなんですね。
牛 そうなんです。それで「漫画やってみない?」って言われて。俺は相当器用なほうだけど、「それは描けない」って言ったのね。「そうじゃない、ストーリーを書くんだ」ってことで、それでちょうど書いてたパチンコの小説があるってことになったんだけど、それもひどいもんで「双葉社に預けた」って言ったら、「取り返してきてくれ」って言うわけだよ(笑)。弱ったなと思ったんだけど、「ちょっと書き直したいんだ」って言って。
――なんとか回収して(笑)。
牛 あれが当たらなかったら目も当てられないな。それ1冊ぶん読んで、「これだけのネタがあったら何倍にも広げられるから」って、そのときにビッグ錠さんを紹介されて、じゃあやってみようかって。俺は漫画の原作っていうのはライターのペラ1枚ぶんぐらいのお金もらえるのかなって、そんな感じだったんだよな。漫画のことは知らないから。
――インタビュ―の続きは絶賛発売中のBUBKA 7月号にて!
ぎゅう じろう
1940年5月19日、東京都生まれ。様々な職業を経て、1970年に『釘師サブヤやん』(漫画:ビッグ錠)で漫画原作者としてデビュー。以降、『包丁人味平』(漫画:ビッグ錠)、『スーパーくいしん坊』(漫画:ビッグ錠)、『プラレス3四郎』(漫画:神矢みのる)、『やる気まんまん』(漫画:横山まさみち)など、数々のヒット作を生み出す。1986年に出家得度し、1989年に静岡県伊東市に自らの設計で願行寺を建立。現在も同寺で、管長を務めている。
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