【BUBKA 7月号】天龍源一郎がレジェンドレスラーについて語る! ミスタープロレス交龍録 第9回 マサ斎藤
天龍源一郎は、その40 年間の“腹いっぱいのプロレス人生”で様々な名レスラーと出会い、闘い、交流した。ジャイアント馬場とアントニオ猪木の2人にピンフォールでの勝利を収めた唯一の日本人レスラーであり、ミスタープロレスとまで称された天龍。そんな天龍だからこそ語れるレジェンドレスラーたちとの濃厚エピソードを大公開しよう!
写真/平工幸雄
アマレス王者の目を潰した武勇伝も!
風体とその生き様に誰もが圧倒された
マサ斎藤さんと初めて会ったのは1978年11月。2度目のアメリカ修行の時にサンフランシスコからフロリダに呼んでくれたカブキさん(ザ・グレート・カブキ)に「元・日本プロレスで、その後は猪木さんに付いて、今はアメリカでやってるマサ斎藤と組んでいるんだけど、会っておいたほうがいいよ」って言われて、マサさんのアパートに行ったんだけど、第一印象は凄くぶっきらぼうだったね。「よろしくお願いします。天龍です」って挨拶したら「おう」って言うだけ(苦笑)。でもカブキさんが中に入って誘ってくれて一緒に飲みに行くようになってから妙に馬が合うようになったんだよね。
俺はマサさんが猪木さんと別れて独りでアメリカに来て、サンフランシスコにアパートを建てるまでになった話を聞いて、一本独鈷で生きている凄さを感じたし、多分、マサさんは相撲からプロレスに転向して不自由にしている天龍に同調してくれたんだと思うし、アメリカに来たばかりの苦労していた頃の自分とオーバーラップする部分があったんだと思うよ。マサさんは俺のことを「天龍!」じゃなくて、いつも「関取!」って呼んでくれましたよ。
マサさんの武勇伝としては、ジョージアでプロレスに挑戦してきたアマレスのチャンピオンを瞬時に倒したっていう話を聞いたことがありますよ。その頃のジョージアのブッカー(現場責任者)のオレイ・アンダーソンはマサさんが東京五輪のレスリング日本代表だったことを知っていて、他にトップのレスラーがいっぱいいるのにマサさんに「お前がやれ」って。オレイは日本人嫌いだったから、負けた時にアメリカ人のレスラーが恥をかかないようにマサさんを指名したんだよね。それでマサさんがタックルで倒してひっくり返して、両目にガッと指を突っ込んで潰しにいったら、相手は「俺を殺そうとしている!」ってわめきながら逃げ出して、それでマサさんの名前がワンランク上がったって。フロリダでも他のレスラーがマサさんをリスペクトしているのを感じたね。風体だけで人を威圧する感じだったよ。醸し出される生き様に誰もが圧倒されるんだと思うよ。
――インタビュ―の続きは絶賛発売中のBUBKA 7月号にて!
天龍源一郎
1950年生まれ、福井県出身。1963年に大相撲入り。1976年のプロレス転向後は「天龍同盟」での軍団抗争や団体対抗戦で日本・海外のトップレスラーと激闘を繰り広げ、マット界に革命を起こし続ける。2015年の引退後もテレビなど各メディアで活躍中。
マサ斎藤
1942年、東京都出身。明治大学在学中の1964年に、東京五輪のレスリングに出場。1965年に日本プロレスに入門。以降、国内外のリングで活躍。アメリカで暴力事件に巻き込まれて逮捕されて刑務所生活を送った他、アントニオ猪木と巌流島で無観客時間無制限の死闘を繰り広げるなど、公私にわたって数々の伝説を残している。引退直後に難病のパーキンソン病を発症し、闘病生活を続けながら健介オフィスで選手アドバイザーを務めた。2018年に75歳で亡くなった。
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