【BUBKA 9月号】天龍源一郎がレジェンドレスラーについて語る! ミスタープロレス交龍録 第11回「リック・フレアー」

天龍源一郎は、その40 年間の“腹いっぱいのプロレス人生”で様々な名レスラーと出会い、闘い、交流した。

ジャイアント馬場とアントニオ猪木の2人にピンフォールでの勝利を収めた唯一の日本人レスラーであり、ミスタープロレスとまで称された天龍。

そんな天龍だからこそ語れるレジェンドレスラーたちとの濃厚エピソードを大公開しよう!

写真/平工幸雄 


俺のアパートに女のコを連れてきたら1時間半後に奥さんがやって来て(笑)

 前回のスタン・ハンセンの次に出会って影響を受けたアメリカのレスラーはリック・フレアーだね。スタンと一緒だったジョージアから80年夏にノースカロライナに転戦した時のトップがフレアーだった。当時のノースカロライナはベビーフェースのトップがフレアー、リッキー・スティムボート、ヒールのトップがグレッグ・バレンタイン、ジミー・スヌーカ、ロディ・パイパー……選手層が充実したテリトリーだったよ。今振り返ると、ノースカロライナでブッカーのジョージ・スコットにいいポジション、チャンスをもらったし、フレアーとかのトップの人たちを見て「プロレスラーとは」とか「プロレスとは」っていう形を学ばせてもらったっていう感じだね。

 余談だけど、俺の最初の付き人になった冬木弘道が国際プロレスから全日本プロレスに来た時にフレアーのファンだったって知ってビックリしたよ(笑)。俺はその前にフレアーの人となりを見ていて凄く尊敬する部分がありましたよ。

 1泊2日のサーキットでキャデラックに乗せてもらって一緒に行ったことがあって、俺以外にも若いレスラーが2~3人乗っていたんだけど、フレアーはノースカロライナのエースなのに自分で運転するんだよね。途中で「長旅だから疲れるだろう」って、ドライブインに寄ってシュリンプ・カクテルを振る舞ってくれたり、ビールを買っても「いいから」って、俺たちに払わせない。他の奴が「俺が運転するから」って言っても、フレアーは「大丈夫だよ」って2日間自分で運転していたよ。それでサーキットが終わったら普通はガソリン代をみんなで割り勘にして払うんだけど「心配いらないから」って、俺たちから一切金を受け取らなくて「ああ、カッコいいな!」って思ったのを憶えてますよ。

 で、誰に対しても横柄な態度は取らないで「イエス、サー」とかっていう物腰で、リング上の鼻持ちならないキザ野郎のイメージとは全然違っていた。だからレスラー仲間のみんなから支持されていたと思うよ。人種差別もなく、みんなを仲間と思うような人だね。試合が終わった後にバーでファンに声を掛けられても丁寧に「イエス、サー。OK」とかって接していたのを見て、本当にジェントルマンだと思いましたよ。


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天龍源一郎
1950年生まれ、福井県出身。1963年に大相撲入り。1976年のプロレス転向後は「天龍同盟」での軍団抗争や団体対抗戦で日本・海外のトップレスラーと激闘を繰り広げ、マット界に革命を起こし続ける。2015年の引退後もテレビなど各メディアで活躍中。

リック・フレアー
1949年、アメリカ合衆国テネシー州出身。1972年にプロレスラーとしてデビュー。金髪のロングヘアーに豪華なガウンを身にまとったキザ男のキャラクターで大人気を博した。日本では全日本、新日本、SWS、WARなどのリングに上がっている。2008年には現役選手として異例のWWE殿堂入りを果たし、2012年にも再び殿堂に迎えられて史上初の2回のWWE殿堂入りを達成した。得意技は足4の字固め、バックハンドチョップなど。前のめりのダウンなどの見事なやられっぷりでも称賛を集めている。