【BUBKA10月号】世界中の化け物と戦った男が見た前田日明伝説 高阪剛
腕自慢の男が集ったリングスでの毎日は世間の秩序からははみ出ていたが、高阪剛にとっては刺激的で有意義な時間だった。
何より前田日明の一挙手一投足に全神経を集中させていたことが、後に世界中の猛者と戦う上で大きな糧になっていたに違いない。
「選ばれし者」と過ごし「化け物」と戦い続けた日々を振り返る。
写真提供=平工幸雄
軽くやろうがガチの合図
――前号でヤマケン(山本喧一)さんにUインター伝説、髙田延彦伝説を語ってもらったので、今回は高阪さんにリングス伝説、前田日明伝説を語ってもらおうと思い、うかがわせていただきました(笑)。
高阪 なるほど。そういう趣旨なんですね(笑)。
――高阪さんはプロになる前、実業団で柔道をされてましたけど、リングスは普通に入門テストを受けて入ったんですか?
高阪 もちろんです。93年の夏でしたね。当時勤めてた会社の夏休み+有給を使って上京して、前田道場で入門テストを受けたんですよ。
――当時、入門希望者っていうのは、たくさんいたんですか?
高阪 いや、自分一人だけです。
――そうなんですか!? UWF系を含めたプロレスラー志望者が多い時代だったと思いますけど。
高阪 当時からいろいろ団体があったじゃないですか。その中でリングスは、練習が異常にキツくて、デビューしても身長2メートル、体重140キロのビターゼ・タリエルをはじめとした化け物と闘わされるってことで、多くの人が入る前から尻込みしちゃってたと思うんですよ(笑)。
――「あそこはキツすぎる」という噂がもう広まってたんですね(笑)。
高阪 当時のリングスは、スーパーヘビー級の外国人選手がゴロゴロいたし、もうハナっから「俺は無理だろう」って諦めてた人が多かったと思う。だから入門テストも志望者がいたらその都度やってたんですけど、練習生はほんとに少なかったですね。
――新日本プロレスなんかだと、同期が6人くらいいるもんですけど、苦楽を共にする同期生もいなかったわけですか。
高阪 坂田(亘)さんが3ヶ月くらい前に入ってたんですけど、(同期というより)先輩ですからね。坂田先輩はアニマル浜口道場出身だったので、練習のルーティンだとか業界内の上下関係の仕組みも理解した状態で入門してきていたから、すごく的確なアドバイスをしてもらったんですよ。「一般社会ではこうだけど、うちらの業界ではこうなんだよ」 っていう。
――インタビュ―の続きは絶賛発売中のBUBKA10月号にて!
こうさか・つよし
1970年3月6日生まれ、滋賀県出身。1994年にリングスでデビュー。翌年「ザ・トーナメント・オブ・J’95」に出場し優勝。実績を積むと、アメリカに拠点を移し、UFCにて「世界のTK」の名を世界に轟かせる。その後は「キング・オブ・パンクラス」に輝き、PRIDEでも活躍した。現在は総合格闘技道場「ALLIANCE」で数多くのアスリートを指導している。
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