【BUBKA 11月号】コラム日本一の最強野球ライター 中溝康隆(プロ野球死亡遊戯)が書き綴る 愛と幻想の原辰徳 第11回「あの秋、無職の俺」
元ファンからコラム日本一に輝いた最強野球ライター
中溝康隆(プロ野球死亡遊戯)が書き綴る「2019年の若大将」
「パイオツの丸がとれてハイオツぐらいになったよね」
えっどういうこと? 会社で隣の席のボインに唐突にこんな言葉を投げかけたら、秒でクビだろう。この原稿執筆時点(9月16日深夜)でついに巨人の5年ぶりの優勝が秒読み段階に入り、原辰徳語録もキレとコクを増している。石川慎吾の代打サヨナラ弾で優勝マジック20を点灯させた8月24日のDeNA戦後は「もうちょっと小さな数字になったら言いたいこともあるが……ちょっと大きすぎるね」(25日付スポーツ報知)と平静を装っていたが、一桁のマジック9になると「まだまだ」、6では濁点がひとつとれ「まだまた」。そして、いよいよ5になると「またまた、ぐらいになったかな。濁点はとれたよね。えっへっへっへ」って記者も普通に聞いてるが完全に意味不明だろう。追いつかれそうになったら突き放し、さすがにヤバイと思ったらまた逃げ切る。9月アタマの6連敗で今度こそ首位転落を覚悟したら「今、順風じゃないわけだからね。アゲインストの風が吹いている。みんなで押し返さないと。風を変えていかないと」なんてなんだかよく分からないアゲインスト発言にケツを叩かれたキャプテン坂本勇人が、翌日の試合で先制タイムリーに炎のヘッドスライディングをかまし連敗脱出。ファンを一瞬たりとも安心させないスリリングな戦いぶりで、ついに歓喜の瞬間もすぐそこだ。
なにせG党も優勝が久々すぎて落ち着かない。前回のリーグVは2014年9月26日、横浜スタジアムのDeNA戦。パソコンの写真データを見てみると、巨人先発は内海哲也(現・西武)で1番長野久義に2番橋本到と懐かしい名前が続きスタメンの半数以上はすでにチームを去った。なにせ今はすっかりハマの主砲ロペスがまだ巨人にいたわけだから。前日25日はナゴヤドームの中日戦だったが、先発のクリス・セドンが打たれて胴上げならず。「いやぁ、セドンのあの広島戦15奪三振デビューはプロ野球記録だったよねー」なんつって錦のキャバクラで熱弁ふるってもキャスト全員から無視されるレベルの平成球界一発屋である。ちなみに同年にキューバからやってきたのが打率0割の至宝フレデリク・セペダだ。5年前、セドンにセペダ、そして10日前から無職の俺。
そう未来なんか何も見えなかった。その夏、6年間勤めた化粧品会社を辞め、すべての有給を消化したのが9月15日の月曜日。プロのスポーツライターになってやると意気込んだまではよかったが、なにせまだ連載もほとんどなく、ただひたすら毎日無料のブログ記事を更新し、月の収入は3万円ほどで、手元にわずかに残った退職金を切り崩しながら生活している有様だった。文句ばかり言っていた手取り20数万円の月給が毎月振り込まれる有りがたみを辞めて初めて気が付くリアル。マジお先真っ暗。でも、タツノリの胴上げを目撃するために新幹線で名古屋に向かい、翌日にはもちろん横浜にも行った。35歳ほぼ無職、彼女なし、貯金なし、巨人の優勝を追いかけてひとりぶらり旅。14年9月の手帳を見返すと「toto締切3000円」や「会社に保険証返却」と来て、「KAMINOGE発売」とか「13時サキエちゃん錦糸町で寿司」みたいな走り書きがある。サッカーくじやプロレス雑誌を買い、保険証を失い、午後が暇な知り合いの新婚人妻の旦那の愚痴を聞きながら飯を食うって、文字にするとかなり終わってる気もするが、まだなにも始まっちゃいなかったのも事実だ。もう満員電車に乗らなくてもいい妙な開放感と、隣に同僚すらいない将来に対する漠然とした不安。あの頃、自分にとってプロ野球はすべてであり、原辰徳は己のさえない未来を微かに照らす明かりだった。
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なかみぞ・やすたか(プロ野球死亡遊戯)
1979年埼玉県生まれ。大阪芸術大学映像学科卒。ライター兼デザイナー。2010年10月より開設したブログ『プロ野球死亡遊戯』は現役選手の間でも話題に。『文春野球コラムペナントレース2017』では巨人担当として初代日本一に輝いた。ベストコラム集『プロ野球死亡遊戯』(文春文庫)、初の娯楽小説『ボス、俺を使ってくれないか?』(白泉社)などが好評発売中!
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