【BUBKA 12月号】超人を生み出したプロレス式修行に宿る パンクラスの狂気 ミノワマン

すべては超人になるために──キン肉マンに憧れた少年はプロレスへの夢を追いかけ、愛知の誠ジムへ。リング屋としての下積みの先に、入団したのは“マッドネス”な船木誠勝を象徴とするパンクラス。総合格闘技界きってのエンターテイナーが、今だから話せることばかりの修行時代を振り返る。

写真提供=平工幸雄

渡り廊下でラリアット

――ミノワさんがプロレスラーを目指した原点は、今年40周年を迎えた『キン肉マン』なんですよね?

ミノワマン そうですね。小学3年か4年ぐらいから『キン肉マン』のアニメとコミックスを見るようになって、その後、『ジャンプ』ですね。プロレスも同時進行で見始めて、それが”超人”を目指すようになる原点でしたね。

――プロの格闘家、レスラーになってからもその思いが根底にあるわけですか。

ミノワマン はい。10年前の29周年の時はキン肉マンとも実際に闘うことができましたし。

――『キン肉マン』とプロレスのコラボイベント『キン肉マニア2009』で実現したんですよね!

ミノワマン まさか自分がキン肉マンと闘える日が来るとは思いませんでしたし。また自分が『キン肉マン』の影響で(リングネームに)「マン」を付けることになるとも思いつかなったですね。

――「美濃輪育久」から「ミノワマン」へ。超人になるための改名だったんですよね?

ミノワマン そうですね。

――ジェロニモ的な感じで(笑)。

ミノワマン とりあえず名前から入ろうと(笑)。本気で思いましたね。キン肉マンみたいな超人になろうと。

――もともと子供の頃に見たプロレスラーって、”超人”みたいなものでしたもんね。

ミノワマン 子供の頃見てたプロレスラーっていうのは、本当に別格で人間離れしたまさに超人でしたね。だから僕がプロレスラーを目指したのと超人を目指したのは、同じなんです。

――それで中学から独自のトレーニングで、本格的に目指し始めたんですよね?

ミノワマン プロレスの本や雑誌でプロレスラーがやってるトレーニング方法を見て、ヒンズースクワット、腕立て、腹筋から始めましたね。あと『プロレススーパースター列伝』という漫画で、スタン・ハンセンがラリアットの特訓で左腕をドラム缶に打ち付けるシーンがあったので、僕も左腕を強くするために、友達に「左腕を殴ってくれ」と殴らせたり。教室から体育館に向かう渡り廊下にあった鉄柱にラリアットを打ちつけながら歩いたりしてました。その他、三沢(光晴)さんのエルボーを見て、木に向かってエルボーしたり、藤原(喜明)さんの頭突きを見て、壁に向かって頭突きをしたりしてましたね。

――そういうことしてて、周りから浮きませんでした?(笑)

ミノワマン 浮きましたね(笑)。馬鹿にされましたし。でも、僕は真剣でしたので、何を言っているんだっていう。


――インタビュ―の続きは絶賛発売中のBUBKA12月号にて!


ミノワマン
1976年1月12日生まれ、岐阜県出身。キン肉マンに憧れ、プロレスラーを志す。富山健康科学専門学校卒業後、 愛知県岡崎市の誠ジムに入門。97年にパンクラスに入団、99年ネオブラッド・トーナメント優勝。03年に退団後、PRIDEやHEATをはじめ、海外の団体に至るまで幅広く総合格闘技のリングに上がる。09年にはDREAMスーパーハルク・トーナメント優勝。現在では格闘技セミナーを主宰する活動も精力的に行う。